「考えどき」の収集家

よく本を読みます。いろんな人が「考えたこと」がいろんな風に書かれていて、おもしろいのです。


自分に「考え」なんてものがあるのかといったら、よくわかりません。自分の話すことや書くことなんでもかんでも、本で読んだりネットで見たりしたことのツギハギだらけな気もします。


もともとの「僕」は、すっからかんで、なまけもので、平凡でつまらないもののように思えて、そんな自分のままでいることを拒むために、本を読んだり人からなにかを聞いたり、外の世界を見に行ったりするのかもしれません。


そうやって考える素材を集めてくるのは、大事なことだと思います。どんな素材を拾ってくるのかが、自分を方向づけるように思うからです。だから、なるべく自分から起こした行動で、自分から赴いて出て行った先で、目についたもの、気になったものを拾ってくるようにしたいと思うのです。


たまに、なんにもあたまに入らなくなってしまうことがあります。ぼーっとして、何かを集めに行こうという気が起きないのです。そんなときこそ、「考えどき」なのかもしれません。「考えどき」には、散歩に行くとか自転車に乗るとか、軽く手足を動かす運動や単純な作業が向いているように思います。切って炒めるだけといった、簡単な料理もいいかもしれません。


子どもの頃、外遊びが好きでした。誰に入れ知恵されるでもなく、夢中で遊んでいた時間は、ずーっと「考えどき」だったのかもしれません。大人を疑っていましたし、馬鹿にもしていました。ああはなるまいとも思っていました。大人の姿は、子どもよりよっぽど「考えていない」ように見えるのかもしれません。