犬のいる生活

今日も、どこかで、あたらしい家族を迎えようとする人がいます。


犬のいる不自由というのは、そんなに良いものなのですね。犬のいない自由に特別執着しているわけでもないわたしです。きっと、犬のいない自由も、犬のいる不自由も、優劣はないのでしょうね。それならば、あたらしい仲間といろんな思いを共にした方が、たのしいに決まっている!  ……とお考えになったかどうかは知りませんが、仲間のいるほうを選んだのが、飼い主さんたちなのでしょう。


犬のいない自由が、実際のところどれほど自由なのかもわかりません。犬がいてもいなくても、わたしたちには生活があります。食わなきゃならぬ、着なきゃならぬ、風呂に入ってからだをあらって、身をつくろって眠らなきゃならぬ、明日もあさってもはたらいて、はたらいて生み出した余暇を生きなきゃならぬ……生活があります。犬が1匹(あるいはたくさん)いようがいまいが、生活が増えたり減ったりするわけではありません。むしろ犬が1匹(あるいはたくさん)いることで垣間見える世界が、生活の可能性を広げてくれそうにも思います。


犬の寿命は、13年くらいかなぁと思っていました。いや、実際それくらいの年齢で亡くなる子も多いし、それより短い子もいるのでしょうけれど、個体差があるのは犬も人間も同じで、かれらが長生きする可能性をかんがみると、1匹の犬を迎えるのにあたってその先20年くらいを考える必要があるのでしょうね。自分の人生も、よくてせいぜい80余年……と思いがちですが、そこから先が長い可能性もあるし、もちろんもっと短い可能性だってあるわけですね。


時刻は午前6時21分。そんなあれこれを考えていると、わたしが住んでいるマンションの目の前の公園を、犬を連れて毎日通り抜ける同じマンションの住人・Kさんのことが思い浮かびました。今日も、Kさんと2匹の犬たちは、通るだろうか。……そう思いながら、いつも彼らが通り過ぎていく軌道を見つめていると、きちんと今日もやってくるではありませんか。その瞬間の時刻を確認すると、午前6時22分。昨日と寸分違わず、同じ時刻でした。う~ん、おそるべし。


なんか、生活ってイイなぁと思いました。犬がいても、いなくても……飼っている人を遠くから眺めるのも、「犬のいる生活」かもしれません。