本屋で買えない物語

言えなくても、書ける



  日記帳は、アンネ・フランクの話し相手だった……かもしれない。アンネに関して僕は、こども向けの伝記漫画から得た知識しか持ち合わせていない。けど、彼女はきっと、誰にもいえないこととか、聞いてくれる相手さえいれば言えるのにその相手がいないからいえないこととかを、たくさん書き綴ったんじゃないかと思う。



本屋で買える物語



  僕は最近、漫画をよく読む。本屋さんに行って、気になった作品を買う。買って読むまで中身はわからないので、タイトルやデザイン、オビの文字情報や裏面のあらすじ、絵のタッチなどの要素で、気になったら買ってしまう。そうして買ってきて読んだ漫画は、ひとつ残らず面白い。読む前にお金を払うシステムが良いような気がしている。きっと、お金は払った分だけの価値が返ってくるのだ。読み終えたとき、値段以上の額を払いたかったと思えるようなものもまれにある。


  作品の中には、著者自身の体験がもとになっているものも多くある(厳密には「著者の体験がもとになっていないものなどありえない」のかもしれないけれど、ここではそれは意図しない)。たとえば、鬱になった体験とか、いじめにあった体験とか、虐待や不倫の体験とかである。少なくとも、いまここに列挙したような体験の持ち合わせは、僕にはない。だからこそ、読んで面白いと思うのかもしれない。



本屋で買えない物語



  平凡な僕にも、人に言えないようなことはある。それは、心の中のことだ。口に出して言ってしまったら、特定の誰かを傷つけるであろう、誰も幸せにしない悪口かもしれない。でも、それを心の中に溜めておくのは、自分を幸せにしない。長い目でみたら絶対に言わない方がいいけれど、その瞬間の高ぶった気持ちのはけ口がない自分を、救ってやる手段……それが、日記かもしれない。誰にも見せなくたっていい。自分で読み返すことだって、別に無理に強いることもない。書いて、それで終わりにしたっていいのだ。その瞬間の自分を、そこで切り離して置いておく手段なのだろう。切り離すことに成功したら、読み返すことを強いられることは決してないけれど、読んだらきっと、おもしろい。どこの本屋をさがしても、そんな物語はないだろう。僕にしかおもしろくないものが、出版されるはずがない。


日記は、「じぶん専門」の本屋かもしれない。