AIは幸せを感じるか?

この人は幸せ、この人は不幸せ……と、生まれながらに烙印を押されてこの世に出てくるわけではありません。


生まれてきたらもうすでに世の中にはいろんな人がいて、彼らをその目に焼き付けながら生きていくうちに、これは幸せかもしれない、これは不幸せかもしれない、といった具合に認知する価値観のようなものが築かれていくことでしょう。


そうすると、そのうちAI(人工知能)なんかも「幸せ」を感じるようになるのかもなぁなんて思います。笑ったりとか泣いたりとか、身体的な反射や反応を真似たりしているうちに、いろんなことが人間に近づいていくんじゃないかなぁ……なんてSFじみたことを思わないでもありません。


もちろん、今の技術のままではその限りではなさそうに思いますけれど、そのへんのことを考えるのにじゅうぶんな知見を持ち合わせているわけではないので、そこは僕自身の今後の余白でもあるでしょうし、専門の人についてもまた彼らなりの余白があることでしょう。余白を見つけるほどに、隣接する新たな余白が見つかるというようなエンドレスなゲームのようでもあります。基本が宇宙のように真っ暗で、人為的な活動によって近くまでいって光を当ててやらないことには仔細がわからないのです。なかなかすべてに光が当たっていっぺんに遠くを見渡せる、というわけにはいかないのでしょう。「光」や「明」一辺倒になってしまったら、それはそれであらゆるものの実態がまたわからなくなりそうにも思います。光の部分と闇の部分、明るいところと影になっているところの対比かあって、はじめてそのものを認識できるのです。


幸せもまた、なにかの対比によって認知できる概念なのだろうなと思います。