赤ペン先生と釣りと版画と父親

小学生になった頃、僕は「チャレンジ」という通信教育のサービスを受けていました。送られてくる教材の中の「課題」を郵送で提出すると、「赤ペン先生」という人たち(会ったこともありませんが)がその名の通り朱書きを入れて、送り返してくれるのです。その送り返された課題の評価に応じて、金だか銀だか銅だか、いずれかの色のシールが添えられておりまして、そのシールを集めると、集めたシールの点数に応じた景品との交換ができるのです。僕は、最もたくさんの点数が必要となる「釣りセット」と、自分の集めたシールを交換しました。これが、僕が釣りをはじめたきっかけでした。


僕をいつも釣りに連れて行ってくれたのは、父でした。はじめのうちは一緒に竿を並べもしたのですが、やがて父は、僕が釣りをしているあいだ、水彩の風景画を描いて過ごすようになりました。僕は僕で、好きなところを歩き回り、場所を変えながら、魚を釣るためのあれこれを考えて1日竿を振って過ごし、夕刻前には父の元に戻って来るという具合でした。


父はもともと美術に関心があり、進学先として美大を選ぶかどうか考えもしたうえで、ほかの国立大学に行ったと聞いています。父が本格的に水彩画をはじめたのは、今の僕の年齢である32歳よりももういくぶんあとのことだったかもしれません。僕が幼い頃に、彼の自作の版画を年賀はがきに刷り出す作業を手伝った記憶があります。


実家には、父の本棚があります。実家に頻繁に出入りする僕は、そこに並ぶ本のタイトルが目につき、気を引かれ、手に取ることも少なくありません。父親が何を好きで、何をやって過ごしているかといったことを、息子として僕は、比較的よく知っている方なのかもしれません。そういう父親の姿を見てきたことによる影響で、自分が無意識のうちにしている行動、おこなった選択がどれだけあることでしょう。誰に教えられたわけでもないのですが、僕は版画が好きみたいで、自分の掘り出した版画を、なにかしらの自主制作物の美術に用いたことがこれまでに何度かありました。そう、誰に教えられたわけでもなく、「勝手に見(み)」、「勝手にやった」までのことなのです。


2歳半になる僕の息子も、そうやって僕の姿を見て、日頃何かをやっているのかもしれませんし、これから何かをやるのかもしれません。僕が「勝手に見、勝手にやったらいい」と思っているばかりに、その通りになるんじゃないかと思っています。それはまさしく、僕が父から受け継いだことなのです。