Life in the Stream

いまの状況を守りたければ、同じことをつづければいいのだろうか?  その場合でも、「守りに入った人」を含んだ大きな枠組みや仕組みを、誰かが新しいアイディアで根底からつくりかえようというとき、あっさり変わらざるをえないだろう。それならまだ良くて、連綿とつづけてきた命の営みさえも、いったん「終了」となるかもしれない。


たいていの人たちは、インスタントラーメンを食べなくても、別のものを食べて生きていけるだろう。でも、一部の愛好者は、インスタントラーメンがないことによって、ストレスで発狂してしまうかもしれない。その人たちにとってのインスタントラーメンが、たまたまそういうかけがえのない存在だったというだけで、その人たちにとってのインスタントラーメンのようなかけがえのない存在が僕にだってあるし、そういったものを持つ人は僕以外にもいることと思う。


飛行機がなくても、時間をかければ遠くへ行くことはできるだろう。ただ、飛行機のおかげで、限られた時間の中で、ビジネススーツなんかを着たまま遠くへ行くことができる(もちろん、ジーンズにTシャツでも良いのだけれど)。そういうことが可能になることの価値が、広く受け入れられている。


ビジネスの可能性を広げるだけならまだしも、助からなかった命が助かるというようなこともあるだろう。同時に、高度な文明を保持することで犠牲になるものもあることを思う。豊かさを抱く人の足元に、無限の命が堆積して地層を成している。


おおげさなことじゃなくても、ひとちぎりのパンを自分の皿に持ってくるみたいに、身の周りのことをどうにかしたくて、一生懸命考えることから始めればいい。僕の身にも、どうにかしたいあれやこれや、あの人やこの人との関係がある。


自分のやり慣れたことには流れがあって、すでにいずれかの方向があるだろう。その流れを強めるとか、違った方向に修正するといったことが、アイディアひとつで可能になるはずだ。……なんて考えること自体が僕自身の「流れ」であって、このように考える流路を這い進む流動体が、僕なのかもしれない。ここでは、流路という言葉を環境と言い換えても良いだろう。あるいは、運命と言い換えればよりおおげさ感が増す。そんなものがあるとすれば、だけれど。