時候のあいさつ(モノローグ編)

寒いのより暑い方がいい。夏は冷房もつけずに部屋に引きこもってドラムを叩いている。そんな僕である。


多少、暑くても死なないと思う。汗をかきすぎて、脱水症状になったら危険かもしれない。砂漠のど真ん中になんの装備もなしに放り出されたら、生きて帰れる自信はない。やっぱり、暑すぎるのもそれはそれで危険かもしれない。そう思い直す。でも、やっぱり僕は、寒いのよりは暑いほうがいい。


暑いと、妙にやる気が出る。夏の冗談みたいな異常な暑さを感じると、その冗談に応えたくなる。そんな気持ちになる。逆に、一歩外に出た瞬間に骨まで乾きそうな寒さを感じ取ったときは、もう駄目だ、これでは何もできない、春になるのを待とう、それまでは、何かを成そうなんて思うのはやめよう……そんなことを思う。


東京の寒さは、もっと北の地域や、もっと標高のある地域からしたら、かわいいものなのではないかと思う。僕は、東京の都心といわれる地域を少しだけ(少しだけですよ、少しだけ)西に外れたところに住んでいる。ここからさらに西に移動すると、国分寺だとか立川だとか八王子だとかいった地域があるのだけれど、そうした地域にこの季節に降り立つと、「寒っ」と思うことが多い。僕の住む地域よりも、八王子などのほうが、いくぶん標高があるのかもしれない。体感温度に差が出るほどの標高差があるのかどうかは、わからない。標高差以外にも、体感温度に違いが出る要因はあるだろう。地形による問題、あるいは人工的な構造物の配置などによって、冷たい風が吹き下ろしたり抜けていったりするがために、体感温度がより低く感じられるということもあるかもしれない。


寒さ暑さを嘆くのなんて、究極のひとりごとだ。でも、こういったことは、多くの人と共感できる話題でもある。究極のひとりごとであると同時に、究極の共通の話題でもある。気象予報をまめにチェックしていて、訊いてもいないのにその日やその後の天気や気候のことを教えてくれる人は多い。僕は、必要だと思ったときにチェックするくらいだ。そうした人たちのチェックの頻度には、遠く及ばない。非ミーハーで、鈍いところのある自分のことを思う。天気や気象に対してミーハーかそうでないかという評しかたは、妥当でないかもしれない。どちらにしても、たいしたひとりごとでもない。ひとりごとにたいしたものがあるかどうかも、あやしいところだ。




ありがたいと思ってきけば、ひとりごともたいしたものになる。毎日、ありがとうございます。