未補完の去年

◯◯納め、なんていう。なんでもかんでも、年を越す前の最後におこなうそれを、◯◯納め、と。


昨日僕は、蕎麦を食べた。年越しそばというのだろうか。年を越す前に食べるのか、年をまたいで(?)食べるのか、年を越してから夜中のうちに食べるのか、どれが正解がよくわからない。昨日は午後7時ごろに食べたので、蕎麦の食べ納めだったことになる。


2018年を振り返ってしんみり、みたいなことはあまりしていない。


2018年に入ってから始めたことは、日記を書くことだ。5年間使える手帳を選んで購入し、2月頃に書き始めた。ページをめくってみたら、きっかり2月1日から記録が始まっていることがわかる。


その日の行動や体調の記録をなるべく淡々と書くことにしている。たまにいら立ちを抑えきれなかったり、興奮するほど特別なことがあったりすると、感情的なことが書きなぐられていることもあるけれど、自己管理がこの手帳のテーマなので、なるべく客観的な記録になるように努めている。


手帳の最後のほうに、1年間に対してまるまる1ページ割り振られた部分を見つけた。1年間の最初にこのページを使う手もあるのだろうけれど、そのとき初めてそのページの存在に気づいた僕は、2018年の出来事を書いてみた。自分なりに大きいなと思ったトピックは、



・妻が第二子を妊娠

・息子が保育園に入園

・楽曲「◯◯(自作曲)」を制作

・楽曲「××…(自作曲)」を完成させて配信



といったことであった。音楽をやっている僕は、音楽におけるパフォーマンスと自分の状態の把握に関心が強い。そのために日記を書き始めたので、1年間を振り返ってみて書き出したトピックは、音楽における成果物に関する箇条がならんだ。家族のことがそこに入ってくることから、それらの自分への影響がいかに強いかということを実感する。


成果的な側面からこれら書き出されたトピックをみると、もっとできたのではないかと思う。足りないとばかり思う。


満たされるなんてことは、幻想なのだと横やりを入れる自分もいる。来年も再来年も、1年間のトピックを書き出しては、足りないと思うのかもしれない。それはそれで、向上心が尽きていない証だろうから甘んじて受け入れつつ、足ることを知るのが今後の課題なのだろうなとも思う。


終わってからでないと、振り返ることはできない。新年が来て、はじめて去年が生まれる。




あけましておめでとうございます。今年もお世話になれたら嬉しく思います。