Original Color 〜紅葉と恐竜〜

きれいに紅葉する樹木と、そうでない樹木がある。なぜだろう?  調べてみるか?


……と、ネットを検索してみれば、それらしい答えは見つかるだろう。実際そうしてみたところ、なんとなく納得がいかないこともない程度のアンサーは見つかった。良くも悪くも、その程度ではあるが。


緑以外の波長の光が吸収され、緑色を感じさせるの波長の光のみが反射されるから、植物は緑色に見えるのだという説がネット上にあった。その考えを流用してみると、きれいに紅葉した植物たちの赤や黄色は、それ以外の色を感じさせる波長の光を吸収してしまって、赤や黄色を感じさせる波長の光のみを反射したものだということになる。


そのものが、もともとそのような色を持っているというよりは、そのような色を感じさせる波長の光を反射させる性質をそのものが持っているということだ(あるいは、それ以外の色を感じさせる波長の光を吸収するということだ)。


そう考えると、きれいな赤色や黄色に見える物体があったとしても、厳密には、そのもの自体がそのような色を持つのではなく、そのものが反射した波長の光を感知して、まわりの者たちが、その物体やら生体に対してその色を感じていることになる。それを「きれいだ」などと感じるのは、観測者側の感性による。


見る側の者が、そのものに対して色を「感じている」のである。


若さが、仮に色のようなものだとしたら、若さを感じさせる存在があった場合、その存在がもともと若いというよりは、観測者が「若い」と感じるような波長の光を、その存在が反射していることになる(あるいは、「老け」だとか「老い」だとかを感じさせる波長の光を吸収してしまうかだ)。


私たちは、自分が相手に感じさせている色がどんなものかということに対して、一喜一憂しがちかもしれない。相手の放つそうしたリアクションなり感想なりを受け取って、具体的に何か対策をしたり行動を起こそうとしたりするのも結構である。


ところで、長いこと(それなりの期間)、恐竜の体表の「色」がどんなものだったかということは不明とされていた(……と、僕は記憶している)。最近では、ある程度どんな「色」だったかがわかってきた、とかそうじゃないとか、聞いたような聞かないような気もするが……(あいまいでご免なさい)


体表の色がどんなものだったかということが、恐竜の「存在」の重要性にどれだけ影響を来すかといえば、僕はそれほどでもないように思う。


言い換えれば、色というのは、目の前の「いま」に対して鮮烈に感じる、非常に刹那的なものなのだろうということだ。


そんなものに、僕らは、はっとしている。


そんな日々だ。(だからなんだ)



おつきあいいただき、ありがとうございます。