えむ

「咲」という字は、「咲む」と書けば「えむ」とも読むのだそうです。そんな名前の女優さんがいたと思いますが、彼女が登場するよりも前から存在する読ませ方だったのですね。へぇ、と思いました。


笑いというものは、衝動的なもののようにも感じます。


「笑いと驚きは似ている」という話をある有名人(誰だったかな)がしているのを聞いて以来、同じ話を僕は随所ですることがあります。


予想外のことと出会った時の感じ、あるいは身体的な反応を含めたものを「びっくりする」などと言いますね。予想外のことと出会って、笑ってしまうこともあります。単純に「びっくりする」のと、そこで「笑ってしまう」のとでは、一体何が違うのでしょうか。


視界の外から急に人や動物が現れて目の前を横切るなどしたときは、驚いたとしてもきっと多くの場合「笑い」は起きないと思います。


でも、誰かと話をしていて、目の前に相手がいてその人と話をしている状態だということは百も承知だというときに、相手の意外な発言に思わず笑ってしまうということがあると思います。


「笑い」という反応が起こる原因には、何か知的で人間的な作業なり思考なりが存在するように思えてなりません。


同じ発信を受け取ったときでも、思わず笑ってしまう人もいれば、平然としている人もいます。笑ってしまった人の場合は、受け取った何かが、その人の内側にあるものに働きかけ、笑いという形での爆発を引き起こしたようにも感じられます。笑わなかった人については、発信された何かが働きかける対象となるものがその人の内側に存在しなかったか、もしくは働きかけるも爆発までは引き起こすことができなかった、といったことが考えられるでしょう。


ところで、赤ちゃんが笑ったのにつられて笑ってしまう、ということがあると思います。大人は赤ちゃんの「笑い」を見て、言葉もろくに知らないであろう赤ちゃんが「笑う」という人間的な態度を見せることに驚いて笑う、という可能性があるでしょう。


赤ちゃんが生まれて初めて笑ったかのような様子を見せたとき、赤ちゃんの内側で起こっていることは、大人の見せる「笑い」の原因になっていることとはまるで違うのかもしれません。


赤ちゃんの見せるそれは「ミラーリング」みたいなもので、大人のまねごとなのかなぁとも思います。


一方、「真似しよう」「やってみよう」という意思に基づいて赤ちゃんがそれをするのかどうか、確かめようがありません。(あるのか?)ひょっとしたら、生まれて初めてある赤ちゃんが「笑った」ときも、赤ちゃんの内側にあるものがなんらかの爆発を引き起こして笑っているのだとしたら、とてもおもしろいことだ思います。運命的な何かを感じてしまうと言いますか……


「笑いって、奥が深いよね」とは、あまり考えなしにも言えてしまいそうなせりふでありますが、やっぱりその通り、笑いとは奥が深いもののように思えます。いや、それでいて単純なことなのか……



最後までおつきあいいただき、ありがとうございます。