まどろみのムーヴィ・シアター

自分が北を向いて立てば、右手側が東になる。そこで正反対に向きなおれば、左手側が東になる。北にだって東にだって、特別な変化は何もない。自分の向きが変わっただけで、方位がまったく別のもののように感じられることがある。


混乱や勘違いが解けたときにともなう、妙な感じ、すっとした感覚……それは、快感なのだろうか、不快感なのだろうか。気持ちがいいことのようにも思えるし、現実を正しく把握できたが故の不安や焦りが同時に立ち込めて気持ちがわるいことのようにも思える。


移動中に眠ってしまって、起きたとき。自分の現在地がわからないことがある。どちらがどの方位なのかわからないことがある。眠る前の最後の記憶と、自分の現在地のずれを埋めにかかる。


ひとつづきの事情でも、そんなふうにして、間が抜け落ちることがある。そこを、状況の把握や想像による補足で理解できたときに、先ほどの、正しくつながった快感のような、現実の重圧による不快感のようなものがともなう。


よく見る夢ってあると思う。どちらかというと、嫌な夢、こわい夢、苦しい夢のほうが、僕の場合は典型的なパターンがある。気持ちよくてここちよくて、しあわせだというような夢の記憶って、僕にはあまりない。気持ちよく幸せに眠っているという現実自体が、気持ち良くて幸せなものだろう。りんごはりんごで、バナナはバナナだ。


①何かに追われている。なのに、足がめちゃくちゃ遅い。足が重くて重くて、ぜんぜん動いてくれない。


②勾配のある廊下や通路のような場所で、廊下や通路の幅や高さをすっぽりおおうくらいの大きさの球体が、こちらに転がってくる。


③自動車を運転している。が、ブレーキの効きが悪い。悪いなんてもんじゃない。ブレーキペダルを踏んでいるのに、リニアモーターカーが鉄道のうえを滑りゆくさまを思い起こさせるくらいの摩擦や抵抗のなさで、進み続けてしまう。


これらが、僕がしばしば見る、いやな、こわい、気持ちのよくない類の夢の典型である。②は、最近あまり見ていない。①③は、まだ見ることがあるように思う。


こうした夢を見て、目覚めたときの感覚がどうだったか、正直あまり覚えていない。安心を覚えてほっとするような気もするけれど、なにもなかったかのようになってしまう気もする。


夢日記をつけて、積極的に記憶や体験としてとどめようと試みることもある。そうした夢のことは、あとになっても覚えている。気持ちいいことかどうかといったら、よくわからない。なんともいえない。


気持ちわるいけど、気持ちいい、とはなんだろう?  妙なこと。望んで得られる類のものでないこと。名付けようのない、取るに足らない感覚……


悲しかった「はず」、笑っていたかった「はず」……ないようで、ある、いや、あるようで、ない、故に、名前などない。名付けてもいいかもしれない。


映画のように、上映時間をもって、終わるものないい。起きようとしなくても、目覚めるように、終わりが来る。逆に、上映時間を満了しないことには、終わってはくれないのだけれど。その場合は、席を立って退出するという手もある。




最後までおつきあいいただき、ありがとうございます。