コインがチャリン

27歳で亡くなった有名なミュージシャンが何人もいると聞く。ジミ・ヘンドリクスだとか、ジャニス・ジョプリンだとか、ニルヴァーナのカート・コバーンだとか、いろいろいるらしい。そうした、「27歳で亡くなった有名なアーティストやミュージシャンたち」を、リスティングしている人たちがいるらしい。リスティングしてしまうほど、たくさんの有名アーティスト・ミュージシャンが「27歳で」亡くなっているのだろうか。どこかでだれかが、「あれ?  なんか有名なスゲェ人たちが亡くなって、その人たちが27歳だったケースって妙に多くない?」といったことを思ったのだろう。


これまでにいくらでも、いろんなアーティストやミュージシャンやその他いろいろな分野の人たちが、それぞれにいろいろな年齢で旅立っていることと思う。「27歳」のケースに着目して取り上げたくなる心理には、やはり「旅立った年齢が若い」ということがあるのだろう。


27歳なんて、僕はとっくに過ぎてしまった。


僕には、20歳だとかそこらで亡くなってしまった友人が何人かいる。彼ら彼女らはおおむね僕と同年代の人たちだったので、見送った僕たちも20歳だとかそこらだった。


ある人生が、そこで更新を終えるというのはショッキングなことである。その人生が細かく解体されて、残された人たちに分配される、という風にもとらえることができる。とにかく、その人として形成されたひとつのまとまりだったものは、解散されてしまう。


細かく解体されて分配されたわずかばかりのそれらは、託された者に対して大きな存在感を放つ。一定の質量を持ったひとつのまとまりとしての更新は終えたはずなのだけれど、なんだかまだ終わっていないかのように思えることがある。そのことが、生きている者たちを変えていく。ある者が旅立った後も、その影響は続くのだ。


きれいさっぱり、なにもなくなったかのような気がしたとしたら、それは何かがそこにあった証拠でもある。ある者の旅立ちに、大きな悲しみを覚える者もあれば、平然としている者もあるかもしれないが、両者が同じ地平に立つ限りは、そのどちらもお互いに影響を与え合っている。


ある者の旅立ちを受けて、変わっていくあなたを、必ず誰かが見ていることだろう。



目をとめていただき、ありがとうございました。