平熱の保菌者

なんだか、寒気がすることがある。寒く感じるということは、気温に対してわたしが温い(体温が高い)からなのではないかと思う。それで、その後の予定をキャンセルしたり延期したりするほどの影響をきたすのはイヤだなぁと、ドキドキしながら熱を測ってみることがある。そういうときほど、体温計が示すのは平熱だ。わたしの「熱を出さなさ」ときたら、かなり信頼できる。どんなにイヤな予感がしたときでも、どんなにからだが痛くて辛いときでも、おおむね平熱なのである。体温計が示した数字を目視したのち、「すげえ、さすが俺」などと、誰にも伝わらないつぶやきを心のなかにこぼしたり、妻が近くにいるときは妻にこぼしたりする。


いっそ、熱がウワァっと出てくれた方が、「もはや言い訳の余地もない。休ませていただきます」と言い易いように思う。その熱が、わたしの場合はなかなか出てくれない。結局、うずりながらぐだりながら、その後の予定をだいたい予定していたとおりに消化することになる。消化というにふさわしいのかふさわしくないのか、からだの自律にまかせるかのようにこなす。積極的で自発的な発想や思考はどこかあきらめたようになる。どうにかこうにか1日の終わりにたどり着いて、いつものように眠るのだ。平熱は、つらいよ。


休んでしまったけれど、なんかもう元気だなぁ、ということはありはしないだろうか。それで、何かの映像作品の録画なぞ見始めたり、遊び始めたりしてしまうことはないか。休んでおいて、遊んでいたなんて、ひとには言いにくい。秘密をまたひとつ、つくってしまったという感じだろうか。そうした秘密も、平熱のわたしにはそうそうつくる機会もないのである。平熱は、つらいよ。


罹っていることに気付かずに、病原菌を社会じゅうに振りまく人が大勢いるという。あれ、それって、「なんだ、平熱かよ」とかいって、のそのそとスケジュールをこなすわたしのことではないか。たいへん悪いやつだということに、今しがた気づいたところである、わたしは。



「休むのも、務めである」ということには、そうした側面がある。



読んでくださって、ありがとうございます。平熱でも、無理しないのが吉ですね。