反転の空想テラピー

花がそこらで咲いている。桜の一種だろう。まだまだこれから咲く品種がいくらでもあるだろうけれど、すでに満開の木もある。それどころか、葉桜になっているものさえある。北側の地域に徐々に開花エリアが移っていくのが、これからの季節だ。


春を越えれば、夏が来る。


暑さ寒さの話は、無難に誰にでも共通することだと思われているふしがある。歌唱において「ふしまわし」などというけれど、まさにそれだ。定番の技術、といったところだろうか。


寒い季節に暑い季節のことを持ち出すだけで、ちょっとしたファンタジーになる。


異性どうしにおける恋愛も、どちらかの性別を置き換えて同性愛にするだけで、ちょっとしたファンタジーにもなるように。


現実の同性愛を否定する意図はまったくない。ここで僕が言いたいのは、ありふれたシチュエーションでも、たった一部をちょっと別のものに置き換えたり、反転させたりするだけで、とても貴重なシチュエーションに変貌したり、興味深い話に変容しうる、というだけのことである。


寒さばかりが意識の表層にひっぱり出されがちな季節に、あえて暑い夏のことを考えると、ちょっと現実を抜け出して空想にふけることができる。そのことによって、ちょっとばかりの癒し効果というか、リフレッシュ効果のようなものが得られる気がする。空想テラピー、とでも名付けておこう。


永遠に何度でも巡ってくるかのように思えるひとつひとつの季節だけれども、そのどれも、ひとつとして同じものはない。そう思うと、どうせまた来るからと、ひとつひとつの夏やら冬やらとぞんざいな別れ方ばかりしているおのれを、戒めるべきかもしれない。


季節が去るのをさびしく思う気持ちは、きちんとひとつひとつのそれと向き合う人の胸に宿るのだ。



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