焼け石に洪水

ことわざをおのれの口から発することがあまりない。それでいて、知っていることわざ、聞いたことのあることわざがいくつもある。「焼け石に水」も、そうしたことわざのひとつである。


~第1部~


いま、あなたの目の前に、火がある。野外で、焚火をしているのだ。ブロックやらレンガで囲った、簡素なかまどが設置されている。その中心で、火が燃え上がっているのだ。


鉄の棒を何本か渡して、その上に、ずんぐりとした巨大な丸い鍋など置く。油をしいて、ざく切りにした玉ねぎなど放り込む。にんじんもじゃがいももある。肉もある。全部放り込んで炒めたら、水を注いで、しばらく待つ。暇なので、火の周りで駆け回る子どもでも怒鳴ってみる。あるいは、一緒に駆け回って、別の誰かに怒られてみる。あるいは、全員で火の周りをまわって、フォークダンスがはじまる。


食材が煮えたので、カレールーを取り出す。紙箱からルーが入った容器をひっぱりだして、フィルムをひっぺがす。ボトボトと投げ入れて撥ねると熱いので、静かに滑り込ませるようにして入れる。沈め、溶かして、ひと煮立ちさせる。


火が傾いてきた。ごはんも、いつの間にやら誰かが炊いていた。しっぽり、火を囲んで、みんなでカレーを食べる。水っぽいカレーをキャンプで食べた思い出など語る者があらわれる。いま口にしているカレーは、ほどよいとろみで、おいしくできた。みんな満足である。


残り火で湯をわかす。コーヒーでも淹れてみる。あるいは、ウィスキーのお湯割りなど飲み出す者もいる。レンガやブロック石でつくった即席のかまどで、炭がかちり、かちりと静かにはぜる。


寒くなってきた。いつの間にか火を囲っていた人数も減ってきた。もう中に入ろうかということで、バケツに汲み置きしておいた水を豪快に炭火に浴びせる。ぶしゅうううと無粋な音を立てて、鎮火する。かまどを構成していたレンガやらブロック石やらも、バケツいっぱいの水にひれ伏した。潤沢な量の水の前では、焼け石も冷めるのだ。贅沢な夜だった。


~第2部~


焼け石に潤沢な水をぶちまけるような対処がいつでもかなうのならば、「焼け石に水」などということわざは生まれなかったのかもしれない。


「解決すべき問題」があるとして、それを「焼け石」にたとえてみる。


発想転換によるアイデアひとつで解決できるようなものは、そもそも問題というほどのものでもなかった……という見方もできる。


どうしようもないものこそが、真なる焼け石なのである。


焼け石に対する対症療法ではなく、焼け石ができるに至った経緯を究明し、その原因をつくらないようにする……というのが、要領の良い者のすることである。


そう、焼け石に水、ではダメなのだと。別のことを考えなさい、ということだ。水をかける以外の方法を、という意味でもあるだろうし、あるいは本当に別のことを考えて、そちらへ夢中になっているうちに、いつの間にやら焼け石も冷めるであろう。


熱いものに水をかけるという対処方法は、安易で理解されやすい。無駄だとわかっていても、パフォーマンスとしてそれを演じることを求める風潮がありはしないか。本当の解決を望んでいるのではなく、それを見たいだけなのである。お決まりのストーリー展開の新作ドラマが延々とつくられ続ける原因が、そこにある。新作といいつつも、どこにも新しい点は見当たらないこともある。シチュエイションの一部を、現代風にしただけなのだ。


焼け石にかける水を、おのれのクールダウンのために使えばよい……か。焼け石を囲む野次馬たちに水をかけたら、怒るだろうなぁ~。ちょっと見てみたい悪戯心がいま、私の胸の内に芽生えつつある。小心者の私は、おそらくやらないけれど。あるいは、みんなでびしょ濡れになって大笑い、ということにはならないだろうか。案外楽しいかもしれない。




長々とお読みいただき、ありがとうございました。(なんじゃこの2部構成)