マンネリング・フレーミング

同じことを繰り返していると、マンネリになる。マンネリを防ぐために、たまに違うことをしてみる。マンネリを嫌ってたまに違うことをすること自体がマンネリ化し、別にマンネリだっていいじゃない、などと開き直り、特にマンネリ状態を打開する違った策をあえてとらないでみる。するとどうだろう、やはり依然としてマンネリ状態がそこにある。


マンネリを感じるにも、ちょっとした知性が要るかもしれない。知性というか、ちょっとした俯瞰だろうか。ある次元にいる者の目線でとらえれば、多岐に渡ってけっこういろいろなことをやっているなと感じられる状況だとしても、ガラリと違う別の次元に立った目線でとらえてみれば、同じようなところをずっとうろうろしている状態、と評価されかねない。そんな場合もあるかもしれない。


恒常性を保つことには利点がある。いつも、ある水準を満たした体調でいられたら、事故なくことを進められる。マンネリという表現は、否定的なニュアンスで用いられるものだ。


マンネリと表現されたものを、恒常性ととらえ直してみる。すると、あ、これは意外と悪いものではない、そう思えることがらも少なからずあるかもしれない。なんでもかんでもマンネリフレームにあてがって覗き込んでいては、どんなものもその形に見えてしまって当然である。


窓の形を打ち替えてみる。


窓を取っ払ってみる。


別の窓のもとに、こちらから移動する。


窓から見ている人を、こちらが見てみる。


窓と人は使いよう、である。


窓と人、のところを、馬鹿とハサミなんかと入れ替えてはいけない。まんまパクリなのがバレるではないか。


しょーもない話におつきあいくださり、ありがとうございました。