3月のロック

忘れている好物ってなんだろう。


僕は、ビールが好きだった。少し、忘れていた。


僕は、釣りが好きだった。少し、忘れていた。


僕には、好きだったバンドがいくつかある。今でももちろんそれらのバンドが好きだが、片時も忘れることがないほどに年がら年じゅう聴くほど好きだったということを、少し忘れていた。


こうして思い出して並べてみると、かつてとても好きだったけど、意識のデスクトップに出しっぱなしにするほどのものではなくなった、というものが多い。名前を付けるとか日付を入れるとかして、年代や場所なんかによって紐付けして、フォルダリングして格納してしまったものたち……といったところだろうか。


そうだ、あと、僕はカレー作りが好きだった。もちろん今でも好きだ。ただ、作る頻度は、一番頻繁に作った時期のペースには及ばない程度だ。


特に食品についてのおのれの嗜好をふりかえってみると、健康にいいらしいとか、体調管理に役立つかもしれないといったことを入り口に、お気に入りリストに加わっていったものたちが多いことに気づく。デスクトップの広さは限られているから、だんだんと追いやられて格納されて、見えにくいところでフォルダは膨らんでいっているのかもしれない。


健康にいいらしいとか、体調管理に役立つかもしれないとかいったものの中には、それ自体は味気のないものもある。そうしたものたちのどこがうまいんだと言われれば、確かにそうである。それゆえ、他の何かと合わさったときに発揮される何かしらの魅力がある……のかもしれない。


わかりやすく、味が「うまい」というものの魅力は理解されやすい。「うまい」という評価のポイントを、味だけに限るからそういうことになる。温度だとか触感だとか、匂い・香り、発色、重量感、質感、加工・調理や口に入れて味わう行為の前後・最中に発せられる音だとかだって、いくらでも「うまい」の評価ポイントになるはずだ。


食品の嗜好の決め手がそもそも「うまい・おいしい」だというのもきっと僕の思い込みで、もっといろいろなものが決め手になってさまざまな食品と関わり、付き合い、身のまわりに置く人があっていいと思う。「うまい・おいしい」以外だと、なんだろう?  スリムだとかスマートだとかいった機能面のことだとか、爽やかだとかエロいとかいったような、抽象的な印象みたいな要素も含まれるかもしれない。


言われてみれば、そのもののことを少し忘れていたな……という「好きなもの」を思い出してみると、今のおのれの生活サイクルにはそれらがあまり必須でなくなったものたちなのだなということに気づく。それだけ、おのれの生活が動き、変化してきたことを思うのに、3月という時期はどうもしっくり来すぎている気がして、無意味にちょっと反抗してみたくなる。



お読みいただき、ありがとうございました。