素数のフック

豚が木に登るなんて光景は想像しにくい。そんな光景を目の当たりにしたら、驚くかもしれない。豚が木に登るなんてことが現実に起こるなんて、おそらく私は予想しないであろうから。その、予想の範囲内の現実と、実際に起こった現実とのあいだの差異、落差に驚き、視線が釘付けになるだろう。


現実の豚が、おだてれば本当に木に登るかどうかは、試したことがないのでわからない。きっと、その豚個体の能力・個性にもよるだろう。100年間に1匹くらいは、木に登る豚だって現れるかもしれない。豚も数撃ちゃ木に登る、である。……あら、なんか違う?


下手な鉄砲数撃ちゃ当たる、だとか、豚もおだてりゃ木に登る、だとか、はじめに言い出したのは一体だれなんだろうか。ことわざって、いろんなところで口伝え口伝え語られつづけてきた、言葉の結晶のようでもある。子守り歌、労働歌、民話や民謡もそんなようなものか。


思えば、ことわざにもリズムがある。口にする人を、一瞬気持ちよくさせる。それを口にすることによって、その瞬間だけでも周囲からの注目を受ける快感がそこには含まれているかもしれない。けれど、きっとそれだけじゃない。口にして気持ち良いリズムをもつことばは、聞くものにとっても大なり小なりの快感をもたらすのではないか。


七音や五音の字切れをもった、一定範囲のことばの連なりのことを七五調などと呼ぶことがある。日本語の気持ち良さの秘密がそこにあるのではないかと勘ぐる人も多い。川柳、俳句、短歌、そのどれもが七音や五音のことばの組み合わせだ。そうしたものが下地になるのか、あるいはそれ以前のものが下地になった上で派生した形式なのかはわからないけれど、現在を語るときにも七音や五音の字切れをもつ形式によることばの組み合わせは、頻繁に用いられる。それゆえに、どこかで聞いたことのあるようなことばを生み出しかねない形式でもある。


5も7も素数だ。割り切れない引っ掛かり、フックを生むのか。


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