赤ちゃんが笑う理由

小説を読んで感動できるのは、読んだ人の力です。読んだ人にその感性があったのです。


花が笑って見えるのは、花を見た人の感性です。花を見た人に、その感性があったのです。


わたしが何かをして、あの人が喜んだのを観察できたとして、あの人が喜んだととらえたのは、わたしの感性です。わたしに、あの人が喜んだととらえる感性があったのです。


笑っているわたしを、あなたが観察したという場合。そのとき、わたしが笑ったと観察できたのは、あなたにその感性があったからです。


例えば、赤ちゃんが、笑います。実際には、赤ちゃんは「笑おう」として笑ったのとは違うかもしれません。わたしの知る定義、わたしの思う「笑う」ということに付随する意味を表そうとして赤ちゃんが笑ったのとは違うかもしれない、という意味です。たとえば「笑う」ということが、「楽しい」という気持ちのあらわれだとわたしが考えているとして、そのとおりの表現を意図して、そのときその赤ちゃんが笑ったとは限らないのです。ですから、赤ちゃんが笑ったということから、赤ちゃんが楽しい気持ちでいるかもしれないと解釈することは、わたしの感性によるものですし、それ以前に、その赤ちゃんの様子を「笑った」と判断することでさえ、わたしの感性による評価ともいえるわけです。


そんなふうにして、赤ちゃんのみならず、あらゆるわたしの感知する範囲にある存在が、わたしの感性の鏡となりうるわけですね。


そして、その逆のことがあなたにおいて起こっている。わたしは、いつでも、あなたの感性を映す鏡です。



ってなことですかね。お読みいただき、ありがとうございました。