The Circle

個性的って言われるとうれしい。違いを認められると嬉しい。変ですね、も誉め言葉になる。おもしろい、も嬉しい。訊かれたほうは、そうなんだよ、わたしはヨソとはこんな風に違うんだ、などと気持ち良くなってしゃべってしまうかもしれない。聞き方が上手な人は、そうした話を、引き出し、引き出す。


一般的にはこうだろう、みたいな型を決めつけて、じぶんはそれとは一味違う、というようなことを誇りにしてしまいがちな僕である。でも、そんな「一般的な型」なんてものは思い込みでしかない。思い込みによって決めつけた基準によってじぶんのプライドを定義づけることの脆さ、恥ずかしさ、愚かさを自覚して、いま僕はどうしようもなくどうしようもない気持ちでいる。穴に入ったくらいではどうにもならないだろう。穴があったら入りたいという気持ちの原因は、きっと穴に入っても解消しない。


それでも僕は、生きている。どうにかこうにか、静止せずに動き続けている。おなじところをぐるぐるまわっているだけかもしれないけれど、らせん階段をのぼるみたいに1ミリでも天に近づいたならば、おなじ方位に帰ってきたのだとしても、かつてより高いところにいる。(あるいは低いところか)だからなんだと言われればなんでもないし、油断した隙にいともたやすく、1ミリなんて下降してしまう。生きることは、スリリングである。


生きる場所をつくることができたら、その場所でいろんな人が一緒に生きられる。その事業に加担できたらいいなと思う。孤独で完結するのだって悪くないけれど、1ミリでもほかの誰かと一緒に上がれたら、その一緒に上がったほかの誰かが、もう1ミリ先に導いてくれるかもしれない。


ここに在るものの手によってつくり出されたこの場所が、かわるがわる担われつづけ、手を加えられつづけ、保たれ、正され、方位を変え、あちらこちらへ行き、ときにはかつていた方位と同じだが高さが違う位置へまたやってきては、大きなくくりとしての命がまわりつづける。


お読みいただき、ありがとうございました。