過程にある、わたし的あるある。

1分間のフロスがけは、10分間の歯みがきに匹敵する……と、僕は思っている。あるいは、それ以上かもしれない。それくらい僕はフロスピック(糸ようじ)に感謝しているし、信頼を寄せている。頭が下がる思いで鏡に向かって面を上げて、フロスがけとブラッシングに励む1日およそ3回。そんな毎日である。


僕が後回しにせずにいられていることといえば、歯みがきとフロスがけくらいなものだろうか。メシもたぶん、いっちょまえに食っている。


いつでも、「ありたい姿」になっていく過程にある。後回しになっていて、そこが「弱さ」なのか。そこが、笑われちゃう、あるいは良い意味で笑ってもらえるおもしろさでもあるのかもしれない。


僕は、なんでも後回しにする性格である。


あれこれ、こなしたいことがある。でも、まとまった時間がとれない。対峙する気概やエネルギー、元気が足りない。そんなことを理由に、後回しにされ、先送りにされつづけていることがたくさんある。


そんなおのれへのカウンターとして、僕が努めておこなっているキャンペーンがある。


それは、思ったときに思ったことをやろう、というものである。


たとえば、こういうことだ。


僕は、本が好きだ。(いや、実際には好きとかいう感情を本に寄せているのとは違うかもしれないが、ここではそういうことにしておこう。)


で、次から次へと本を買ってくる。


僕は読むのが遅い。最初の数ページだけを読んだだけの本が、我が家に連れてこられては溜まっていく。


これはいかん!  僕は、まとまった時間や元気をもってそれらと対峙することを先送りにし、後回しの多重債務を抱えて、もはや先送り事項で膨らんだキングジムの分厚いファイルで仮想「じぶん」事務室が満杯だ。


とまぁそんな具合なので、少しでも本を読もうと思った。本を読む時間をとろうと思った。


だが、もはやどこにもまとまった時間やエネルギーなどというものはない。そんなものがあれば、仮想「じぶん」事務室なんてものは必要ない。事務室というより、押入れとでも呼ぶのがふさわしい。


なので、どこにでも転がっている、「小時間(こじかん)」やら「小元気(しょうげんき)」を拾っては、積極的に費やすことにした。


まとまった時間やエネルギーを捻出しようなどという不可能をおのれに課すことをやめにした。トイレに入った際の15秒でもいい。ダイニングテーブルについて、食事を終えたあとの1分でもいい。家中のいろんなところに一冊、一冊と本を置いては、小時間をあてがって読むようにしている。


おかげで、うちには「オフロ文庫」「御手洗文庫」「リビング文庫」といった本棚ができている。


それぞれに特色があるのが面白い。「オフロ文庫」は、詩歌やカタめの随筆、古めのものや学術的なものが集まりつつある。「御手洗文庫」は、小説が多い。「リビング文庫」は、もっぱら最近興味のあるもの、読みやすい文体のもの、生活やくらしに関わるもの、漫画などが集まる。


後回しにするじぶんと、それに対するカウンターを発するじぶんがいる。そこに、わたしという人間のおかしみを感じ、笑ってもらえたら楽なのだけれど、もっぱらわたしの近くにいる人は迷惑しているかもしれない。つくづく申し訳ないなと思うのと、感謝の念で頭が上がらない思いであるが、今日もやっぱりメシを食ったり歯を磨いたりして生きていかねばならないので、なんとか面を上げて暮らしている過程にある。



お読みいただき、ありがとうございました。