まぼろしの間欠泉

オバケを見たことがありません。ほんとうにいるんでしょうか。「存在しないこと」の証明は、この世でもっとも難しいことであると聞いたことがあります。


ほんとうにいるかいないか定かではないけれど、オバケに関する情報はあふれています。不思議ですね。いるかいないなはっきりしないところが、新たな情報を呼ぶのかもしれません。もやもやを晴らしたい人間の欲が、その根底にあるのかもしれません。


存在しないかもしれないものについても情報はあふれていくわけですが、ほんとうにいるけれど実物をおがんだことのある人は限られるという存在が、モグラですね。


モグラが穴を掘った痕跡ならば、僕も見たことがあります。ですが、生のモグラにお目にかかったことはありません。恥ずかしがり屋さんなんでしょうかね。そんなわけないか。


僕が実在すると知ってはいても、実際に遭遇したことのない存在はモグラ以外にもたくさんあります。というか、そっちの方が多いくらいかもしれません。情報に容易に触れられるようになったことによるでしょう。ほとんどの存在が、フィクションとノンフィクションの狭間、2.5次元にあるかのようです。図鑑に載っている生き物だとか、はたまた芸能人・タレントさんとか……


話は変わりますが、僕は作曲をします。たまに我ながらすごいと思う曲を発想することがあります。そのとき、いったい僕はどうやって思いついたのだっけと不思議になるのです。発想のプロセスがどのようなものだったか、具体的に把握しておくことができれば、そのようや発想を意図的に誘発できるようになるのではないかという下心をついつい抱くのですが、なかなかそれがそうもいかないのです。そのことはまるで、モグラは確かに実在するのに、生きているときのそれに対面でお目にかかったことがないことにそっくりだと思うのです。出来上がった曲と向き合いながら、いやぁ、よくこんなものができたものだなどと思うときと、モグラの写真や絵が載った紙面や画面、あるいは生きていたモグラだったものの剥製なんかを前にして「こんな生き物が実在するのだなぁ」などという感慨を抱くときは、似ているかもしれません。


脈々と土の中にうごめいていて、しかるべきとき・しかるべきところに噴出するその瞬間に居合わせたものだけが遭遇できる、幻の間欠泉を探しているのです。



お読みいただき、ありがとうございました。