のっぺらぼうの原稿用紙

じぶんのことをありのまま書けといわれても、なかなかようやれへんことがある。我ながら、つまらなすぎて書けないのだ。あるいは、恥ずかしいとか知られたくないとかいう気持ちが先立って、おのれのことを書かせてくれない。


テレビドラマなんかを観てしまうと、そこにはおのれの人生とはまるで違う人間たちの様相が映し出されていることが多い。たいていは、美男や美女が出演している。娯楽としての機能を果たすようにさまざまな工夫がなされている。演出や脚色の妙技が利いている。現実の僕とは違って当然であるのに、おのれやその身の周りとの対比構造を勝手にでっちあげて、ひとりで落ち込むようなことがなかったといえば嘘になる。


作文のテーマとしてありのままおのれのことを書いて、おもしろいことなんかなんにもあれへん。そう思う気持ちを、僕は否定しない。作文を課すということは、ときに残酷である。にも関わらず、教育の現場で頻繁におこなわれることでもある。


苦しいしつまらないだけだと思うことだとしても、それと向き合うことに学びがともなう可能性を、僕は否定しない。向き合うだけで終わればその可能性は小さいかもしれないが、言葉にして伝えるというハードルを乗り越えるとそこには大きな可能性が待っているとも思う。


嘘を交えてでも、伝えたいことをでっちあげる力を培うことが、皮肉にもこの世を生きていくうえで役に立つことを僕は否定しない。嘘を排して伝えることは、理想かもしれない。僕はいつもそこを目指しているようにも思う。


努力に終わりはないと思う。いや、おのれの努力をおのれで見限ったところに、終わりがあるのかもしれない。理想は、追うほどに逃げるものである。理想はとっ捕まえた途端、現実に変わる。そういう性質のものなのだから、仕方ない。理想に罪はない。


お読みいただき、ありがとうございました。