渦の目

じぶんがその役でいることで、良い経過、良い結果になる。チームというものは、そういった役をおのおのが探し、勝手にその役に就く個人のあつまりでつくられる……のかもしれない。リーダーのような役まわりは目立つけれど、それ以外にもいろんな役があることと思う。


どなたもそなたも、もともとその役が得意だったというわけじゃない。その役になるためのハウトゥがあるとか、訓練課程があるとかでなくとも、その課程を経なくとも、勝手にその役になることができるのである。台本に書かれて用意されるものだけが、「役」じゃない。やっているうちにその「役」ができるのである。振り返ってみれば、典型的なお調子者タイプだったとか、寡黙な科学者タイプだったとか、おっちょこちょいのお姫様タイプだったとか、さも漫画に出てきそうなキャラクターが結果としてあらわれることは、あるかもしれない。


個人のもともとの資質というものの存在を否定はしない。力が強いから、力が強いと有利な役まわりに導かれるようにしてなっていく、その道にみずから進んでいくということはもちろんあるだろう。ただ、役を典型的なもののみと思い込み、その役に実際の人たちをはめ込むという順序でものを考えることが常態化すると、あつれきを生むこともあるだろう。いや、それはそもそも思考の放棄かもしれない。考えてなどいないのかもしれない。


いついかなるときでも、考えることに時間を費やしなさいということでもない。費やした時間の長さと思考の深さが正比例するとも限らない。一瞬の判断の根拠が、一瞬の思考の結果であることもある。これを、ときに「感じる」と表現しても良いように思う。


ぼくが感じたままに動くことを保障されるような集団の中にいられたら、ありがたい。ぼくの近くにいるあなたにも、感じたままに動いてもらえる状況だったら、それはいいチームなんじゃないかと思う。「ぼくは、これをやる!」となったとき、「うん、やりなよ!」と自由にさせたり、ときに適当な力で背中を押したりできる、チーム内をそうした状況に保っておけることが、ひとつ、リーダーの資質みたいなものかなと想像する。


ぼくの「やりたい!」とか「やってみよう」を是認する、ぼく自身というリーダーがいる。リーダーはいろんなリーダーとあつまって、じぶんのチームとほかのチームを近づけては、その反応をみて面白がっているのかもしれない。


お読みいただき、ありがとうございました。