レコーディングとライブ

「どんぐりころころどんぐりこ♪おいけにはまってさあたいへん♪」


間違いに気づきましたか? 正しくは「どんぐりころころ〈どんぶりこ〉♪」だそうです。僕は気づきませんでした。確かに正しいのは「どんぶりこ」だといわれてみると、「どんぐり」と「どんぶり」の押韻に作詞者の妙技が込められており、そちらの方が味わい深いと思えなくもありません。ただ、案外、作詞者には間違って覚えられたことによるとらえ違いなんかを愉快に思う人も多いのじゃないかとも思います。『どんぐりころころ』の作詞者さんが果たしていかに思うかは、わかりかねるところですけれどね。


知識や言葉の奥に、伝えたいことがある場合があります。何かを語る場合、むしろ知識や言葉は、その伝達のための道具と割り切った方が良い気もします。まぁ、道具や役割が正しく機能しなかったために、到達せんとした境地にレシーバーを誘うことができなかったとなると、本文全体が届く範囲を狭めてしまったという意味で、今後の反省材料にする姿勢が問われるかもしれません。


ところで、「そのままでいい」というのは、僕が大切にしていることのひとつでもあります。その間違い、正さなくていいのに、と思うことがあります。濁りがあっていい。不純でいい。雑味を含めて、そのもの本来の魅力を知るのです。技術の進歩が「間違いの回収」のハードルを下げたがゆえに、なんでもかんでも正せるものは正すのが道……という解釈には、僕はつねづね疑問を抱いています。


例えば、音楽のレコーディングの話をします。パソコンが専門家でない人のもとにも広く行き渡る価格と性能になり、録音のための機材やシステムを誰もが簡単に手にできるようになりました。そして、そのシステムが、間違いを正すことを簡単にしました。曲が完成したから録音して記録物として残そうとする場合、作曲者の意図した通りのアレンジや表現を完璧に実現した演奏を、簡単に「でっちあげられる」ようになったのです。


僕はなんでもかんでも意図したとおり完璧であることを必ず正道とすることに疑問を感じている立場なので、あえて「でっちあげる」なんて言葉を使わせていただきました。そりゃ「レコーディング」ですから、「ライブ」とは違います。やり直しができる時間も技術も道具もシステムも揃っていたら、完璧を求める気持ちもわかります。でも、それ、一度きりのやり直しのきかない「ライブ」での表現と乖離しすぎてない? と思ってしまうような過度な追求については、もう少し多くの人に考えてみてもらいたい気持ちがあるのが正直な気持ちです。


あるいは、そのやり直しのハードルを低くする技術やシステムや道具に頼ることへの疑念を動機として、おのれの肉体や精神を高めるきっかけとしてはどうか、ということを提案したいとも思っています。


だからこそ、ひとたび間違えたことをかき消して、なにもなかったことにしてしまうのはあまりにももったいないのです。もちろん、ケースバイケースだとは思いますけれどね。



お読みいただき、ありがとうございました。