棚上げにされたもの 〜積極的休養と業務のあいだ〜

仕事として自由にしていい日があるといいなと思います。まわりを気にせず過ごして良い日というか……なんというか、いつもどおりにまわしつづけたり、こなしつづけたりする中で得られる自由もあるとは思うけれど、そうした日で埋め尽くされた週の連なり・月の連なり・年の連なりの中では、くすぶってしまう自由もあるのじゃないかと思うのです。


たとえば仕事として自由にしてよい1日が週の中にあったら、いつもの週に3日目の定休があるよりいいかもしれないと思います。あくまで仕事の中で、おのれの判断で自由にして良い日というのがあると、休日にやるのも惜しいが、普段の仕事中にやるのは少しはばかられるという、グレイな境界上にある「棚上げにされたもの」がもっと実現するのじゃないかと思うのです。なんといいますか、「積極的休養」と「業務」の間にあるくらいのものです。いくらかのエネルギーを持って向き合わなきゃならないけれど、勤務時間中に堂々とそれをするには「ために(後学に)なりすぎて申し訳ない」ことといいますか……


「大事な人生の時間を費やすならこういうことをしていたい」と思うのに、日々のルーティンに組み込めずにいることがたくさんあるのです。それは限られた時間的資質を費やす対象として現状割愛されてしまっているのだから、それまでのことがらなのだと言われれば、そうかもしれません。あるいは、本当に貴く思っていることのために時間や体力のやりくりもできない、おのれのマネージメント力のなさを露呈しているだけなのかもしれません。


とにかくあれについてもこれについても、僕は至らないことばかり。無能で無力です。だからこそ、集団・一定のまとまりの中での習わしや慣例に助けられることもあるでしょうし、そうしたものに縛られることもあるのでしょう。


もうさ、みんなで一斉にちょっと手を止めて、あの映画見に行かない? とかいうことがひとつでも実現したらいいのに。



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