梅ノ雨

カレーを無心になってつくることがたまにある。スパイスの調合からはじめて、もろもろの下ごしらえをしたりなんかしていると結構な所要時間になりもする。考えながらやっていることのようにも思うけれど、いや、これはやはり無心になっているというのがふさわしい……と、ここでは言っておこう。


僕は作曲をして、その演奏を録音したりもするのだけれど、その作業も、考えているようでいて「無心のたまもの」であるような気がしてならない。ひとたび「作曲」したら……つまり、どのように演奏するかを具体的に決めさえしてしまえば、あとはその実現に向けて演奏をブラッシュアップさせていけば良いのである。


ブラッシュアップなんていうと、目指さんとしたところよりも良いものにする、というイメージにとれるだろうか。完成形が決まっているのに「ブラッシュアップ」してしまったら、その完成形を逸脱してしまうのではないか? と思わないこともない。そう、それでいい。そこが面白い。実際にやってみたら、自分で予定して、決めておいた事態よりも良いものになること、それが何よりの楽しみではないか。


カレーをつくることだって、こんな風にするぞというイメージを持ってそこ向かっていく作業といっていい。あまりその自覚がなかったとしても、潜在的に完成形のイメージを持っていることだろう。だいたいこんなようなものを用意して、こんな風に調理加工をすすめていけば、おおむねこんなようなものができるだろうと心のどこかであたりをつけているはずだ。それでも、出来上がったものがこんなにおいしいなんて! と思ったことは一度や二度ではない。だから僕は、たまに無心になってカレーをつくるのかもしれない。カレーをつくるぞという決断を、無心の僕が下すのかもしれない。


カレーを味わうことになる未来の僕やあなたを思って、いまのじぶんの身体を動かすこと自体、気持ちの良いことでもある。結局何者かに支配されるのならば、じぶんに支配されたいと思う。現実はもっとおもしろく、つまらなく、そしておもしろい。


空っぽになるほど、つまるのだ。いや、それはつまり、つまらないということか? つまらないことをしていたい、梅雨である。


お読みいただき、ありがとうございました。