あるになる

みんなこどもだったわけですよね、いま生きてる大人たちみな。こどもは赤ちゃんだったし、赤ちゃんは胎児だったんですよね。胎児は受精卵だったし、べつべつの卵子と精子でした。それらは親たちのからだの中でつくられたものでした。目に見えるかたちでなかったものが、存在するようになったのがわたしであり、あなたなのですね。そんな、目にも見えなかったしありもしなかったものが服を着ていっちょまえに立ったり座ったり、話したり考えたり、料理したり食事したりするのですね。そして、目にも見えなかったしありもしなかったつぎの世代を生み出す親になることもありえるわけです。


「生み出す」というとそのものの意思に基づいて動かされる手や指、腕や足のはたらきによってもたらされる結果かのようですけれど、いのちが生じるというのはもっと抗いようのないなりゆきであると同時に、ときには願っても叶わない軌跡でもあるように思えます。


ありもしないものだったわたしが、親たちのからだの中でできた細胞どうしの出会いからこの世に存在するものとして受精卵、胎児、幼児、児童、青年を経て今、家のふとんで寝息を立てて転がる子どもたちの親にまでなっています。


「なかった」ものが「ある」になり、それは「あった」になり、「なくなって」いきます。


お読みいただき、ありがとうございました。