時空を跳んだ微笑み

新聞に折り込まれる、無料の地域紙があります。そこに、自身の戦争体験のこと、日々のくらしのこと、趣味のこと、地域や郷土の歴史のことなどについてのコラムを長いこと連載していた人がいます。長い期間に渡って紙面にのせて散らされた記事たちを、地域の図書館の「行政資料室」が収集し、保存しています。ぼくはそれを見て、地域紙に連載を持っていたその人の存在を知ったのです。その著者は、地域紙をとおしてその時代の人たちに語りかけていたわけですが、長い時を経ていまのぼくにそのことばが届いた奇跡に驚嘆し感動しています。著者、地域紙の編集・発行者、図書館・行政資料室、そのどれかひとつでも欠けていたら、ぼくのもとに時代を超えてことばが届くことはなかったのです。その著者をここでは、前沢さんと呼ぶことにします。


戦前の生まれである前沢さんは、連載記事のある回のなかで、「記事を読んでいるという人からよく、反響をもらうようになった。自分は、男はむやみに人前で笑顔を見せるもんじゃないと育てられてきたが、対面で好意的な反響をもらうとついつい笑顔になってしまう」というようなことを書いています(原文とはまったく違うもので、私のあいまいな記憶によるでっち上げをご容赦ください)。


いっぽう、戦後40年以上経ってからの生まれであるぼくは、中学校で英語の教育を受けていますし、じぶんの感情を、態度や言葉をとおして適切に表現できる能力は「社交性あり」というような言葉で評価されうる要素である、という認識を持っています。(中学校のときにぼくが受験した「英語検定準二級」には、「Attitude [姿勢・態度というような意]」という評価項目があったと記憶しています。 )たとえば笑顔をよく見せる態度や性格を持っていることは、成績票の通信欄に、よいことのひとつとして書かれる場合が多かったのです。


「笑う」というアクションひとつでも、それを受け取った人に影響を与えます。安心を覚える人もいるかもしれないし、誘われるようにして自らも笑顔になる人もいるかもしれません。もちろん状況によっては、他者の「笑み」を見とめた人の中に反感をもたらす場合もあるでしょう。


「男がやすやすと笑顔を見せるべきじゃなし」とする風潮のある社会の中で育った前沢さんが、当時の地域紙のコラムを通して放った微笑み、勇気、嘆き、悲しみが、いまのぼくの生きる環境の一部になって干渉してきます。


日本人の気質として「悪目立ちを避けようとするところ」が自嘲的に語られる場面に、ぼくは厭きるほど遭遇してきています。もう死語かもしれませんが、「KY(空気読めない)」だとか「イエスマン(No!と断れない)」などといった言葉が生み出されてもてはやされた事実が、嬉しくもない順風を吹かせています。


何かを見たり、受け取ったりしても何も反応を見せない、黙っている、行動を起こさないといった姿勢を「和」と呼ぶのではないとぼくは思っています。また、「だれも笑いかけてくれない」状況そのままにうつむき続けるのも、おのれの望む姿ではありません。


「環境」にやられっぱなしじゃあ、おもしろくありません。ぼくはあなたに、ぼく自身に干渉する環境の一部になりたいのです。それも、なるべく、笑いかけるといったような方法で。



お読みいただき、ありがとうございました。