バナナ・スムージーの朝

なるようになるさ、なるようにしかならぬ。きみはきみのしたようになっているし、ぼくもまたそれに同じ。なんてことを言ったら、根も葉もないだろうか。茎と花くらいはあってもよさそうじゃないか? 切り花かもしれないじゃない。


今からぼくが漫画家になることは、きっともうないだろう。そんなことを思う、ぼく(33)。でも、わからないじゃないか、あと50年くらい生きるうちに何があって、何になるかなんてわからない。


なんてことを、今なら言えるけれど、あと10年20年しても言い続けられるか、わからない。今だって、残りの人生でじぶんがどうなるかわからない、なんて本気で思っているかどうか、じぶんでじぶんを訝しげに思っている。ぼくはもう、ぼくの思ったとおりにしか、ならないんじゃないか?


何か思っていることがあるかのようなもの言いだけれど、実際のところそんな思いは無いかもしれない。ぼくは残りの人生で、じぶんがどうなると思っているのか?  どんな姿のじぶんが未来に立っている? べつにどうも思っていないかもしれない。思うことがなければ、思うとおりになりようがない。


思うことがないなんて、嘘かもしれない。でも、そうしたら未来があると決まっているかのようでもある。未来なんてないかもしれないのに。いや、「ぼくのいない未来」ならば、いくらでもあるだろう。でも、「ぼくのいる未来」も、前者と同じかそれ未満かそれ以上並みにはきっとあるだろう。


ぼくは漫画家にはならないかもしれないが、漫画の原稿の一枚や二枚、描くかもしれない。今すぐやってみせてもいい。そんな未来は、ちょっと嬉しいし、それ以外でもちょっと嬉しい。そんな未来は、いろいろとある。バナナでスムージーでもつくって飲もうかしら。



お読みいただき、ありがとうございました。