Crawler

散歩は、地続きに景色のうつろいがわかります。街を「読む」感覚というのは、うまい比喩だなぁと思います。実際、読んでいるという概念そのものかもしれません。


歩行、輪行、自動車、電車、さらには空路と、からだをはこぶ方法はいろいろとありますが、歩くことは、そのなかでもいちばんゆっくりと、人間の生身の単位にマッチした読書(読街?)法だと思います。自転車になって速度がワンランク上がるだけでも、見逃してしまうものが一気に増えるでしょう。歩くことで、「生身」単位の街の態度が拾えます。来る者拒まず、去る者追わず、ぽかんと開いた生活の通用口、その向こう側が垣間見えるのです。


自転車は自転車の速度感があり、歩行時ほど時間をかけてすべてを拾っていては探求しきれない範囲にじぶんのからだを届かせることができます。乗ったり降りたり、一時的に駐めておける場所を探したりといったモーションが附随するので、立ち止まりのハードルは歩行より高くなります。それでも、電車や自動車よりははるかに低いものですが。立ち漕ぎをすると、頭の位置を歩行時よりもやや高いところまで届かせることができます。垣根とか目隠しが遮る視界を得られるのがメリットです。こうして得られる景色がぼくは好きで、お気に入りの景色が得られるケースが多いです。立ち止まらずに、ほどほどの速度で流しながらこの高さ独自の景色を楽しめるのは、輪行の魅力として大きいと思います。


電車の旅も、外の景色の移ろいをしっかり追っていれば、その土地のつながりの読み込みが必ずしも分断されてしまうとは限りません。自転車よりも格段に速く、慌ただしくはなりますが、自転車よりいっそう広い範囲の土地の態度をざらっと粗く遠くまで得ることができます。できれば座って、窓際の居場所を確保したいですね。ただ、立って外を眺めるのも僕は好きです。


自動車で散歩する感覚というのも僕は理解できます。目的地や時間に縛られない、うろうろ感がそれを保障してくれるのかもしれません。電車のように、敷かれたレール上を妨げなく進むのとも違います。好きな道を、交通法規に従ってですが、選んで進めます。停車にともなうモーションは自転車よりもさらに大ぶりになりますが、それができないわけではありません。駐車可能なコンビニやカフェを見つければ、休憩もできますね。


空路は僕はほとんど利用する機会がありません。ですが、惑星単位でその姿の一部をとらえることができる貴重な方法だと思います。人生の中で何度か飛行機に乗りましたが、そのとき目にした景色は忘れません。自分で操縦ができたら、もっとこの星を散歩できるのかな。


時間帯によっても、土地や街や人の態度はまるっきり変わります。これらの方法や時間帯えらびを組み合わせると、それは尽きない楽しみとなります。


お読みいただき、ありがとうございました。