音楽大学の生活

僕は、東京音楽大学というところに通っていました。音楽大学には、各地から音楽を志す人がつどいます。


それぞれの出身地域では、神童と呼ばれうるような扱いをうけていたかもしれない人も、ひとつ(ないしはふたつ、みっつそう多くはない数)の大学に集中すると、神童といえるほどに特別な存在ではなくなります(おのおのの地方に帰れば、相変わらずの状況が続いているかもしれませんが)。そう、どいつもこいつも、演奏や歌唱の技術、知識、経験のいずれか、あるいはその複数を備えた者ばかりなのです。


そういう人がひとつのところにあつまって、学ぶ場を形成するわけです。おのおのの地方に居続けていたら、その狭い範囲のなかでは首位かそれに近い存在だったかもしれませんが、比べる対象がより広い範囲からつどうことになるので、狭い範囲において首位だったかもしれない人が、その範囲を広げてもなお首位を保てるとは限りません。多くの場合、首位を失うでしょう。


おのおのの狭い地域のみしか見ない状況・環境に居続ければ、横をみても比べる材料・存在がなかったでしょう。それが、横をみれば、各地の英雄・猛者がた~くさん。専門性の高い大学に行くと、学生の環境はそういうものになる場合が多いでしょう。まわりがすごいと、相対的にじぶんがたいしてすごくないことがわかります。


僕は、4歳くらいの頃からピアノをやっていました。中学校の合唱コンクールなどのとき、本番に向けて、役割を決めて練習をはじめるぞ!となる場合、ピアノを弾ける人は重宝されます。弾ける人は、限られるからです。僕はピアノをやっていましたから、ここでいう、その重宝される人だったのです。じぶんが果たせる、ちょっととくべつな役割がそこにあったようなものでした。それをすることで、じぶんは実際、貴重な経験を得たと思います。


音楽大学のような場に身をおくと、ピアノを弾けるなんてことはとくべつに重宝されることではなくなります。おのおのの狭い地域にいた頃は重宝される存在だった人たちのなかで、特筆に値するレベルでなければ、そうした人たちのあつまるなかでは重宝されません。むしろ、その人のレベルの絶対的な低さ次第では、劣等感すら抱くようになるかもしれません。


より広い範囲で比肩される者のなかにおのれを含め、その環境に居続ければ(ただやり過ごすのではなく)、その人は磨かれていくことと思います。僕はそんな環境であることが想像される音楽大学にいたわけですが、僕の個人的な経験と思い出を参照してみますと、実際のところ、そういう「切磋琢磨」があったことはもちろん否定はしませんが、より強く残っている印象としては、切磋琢磨よりも、「おのれとのたたかい」の生活であったということです。


僕は声楽とピアノのふたつを主科(主なのにふたつという、特殊な専攻でした)としていたのですが、それぞれ週に1回(声楽とピアノを足し合わせると週に2回)やってくるのは、「個人レッスン」でした。「いかに一週間、おのれとたたかったか」を、師の前で開示することになるのです。「今週は、はずかしくない程度のものを晒せる」という日もあれば、からっぽの器を師にみせねばならないことを恥じ、おのれに絶望する気持ちでいっぱいのときもありました。おおむねその1週間単位での個人のたたかいを、4年間やりつづけたのです。


もちろん、合唱の授業もありましたし、年に一度はふだんよりも他の者の目にさらされる演奏の試験もありましたから、横並びに情報交換をしたり、他人のふりみて我がふり直す、という機会は、もちろん狭い地域に居続けた場合とは比べものにならないほどにあったこととは思います。


クラシックの世界だと、その演奏の道のプロになるような人の多くは、音楽大学へ行って修練した人がほとんどになりますが、バンドやソングライターとして大成する人の経歴に音楽大学が存在するケースというのは、むしろ少ないように思います。僕は、はじめから、バンドだとかソングライティングの方をやりたいつもりでいましたが、わざわざ遠回りのためにクラシックを学ぶ専攻となる道を選んだのです。それが、僕にとっての近道というか、近道も遠回りもない、ただただじぶんにとってのたったひとつのやり方だったというだけなのですが。


けっきょくさいごは、おのれとのたたかい。「切磋琢磨」というキーワードからこの文を書き始めてみたのですが、その対極にあるかのようなことばに結着するのでした。


いや、切磋琢磨とはつまり、おのれとのたたかいなのかも。


お読みいただき、ありがとうございました。