おやすみの読み聞かせ

前にも同じことを書きましたが(読んでいただいたかは存じませんが)、萩原朔太郎の詩が僕には難しいと感じつつ、ためしに音読してみたら何か違って感じられた、むずかしいなりに詩を、文を、肉を感じられたような気がした、ということが僕にはありました。


赤ちゃんは、まだことばの意味を知りません。でも、絵本を読み聞かせると、目や耳の感覚を読み手に注いでいる様子を見せます。ことばの意味がわからなくても、その絵本が有する肉を、ボディを感じ取っているかのようです。


僕の妻は、幼児たちに毎晩読み聞かせをしています。それで、みんなで眠る習慣になっています。妻がするよりずっと少ない頻度ですが、読み聞かせをするのが僕は好きです。読み聞かせは、寝る前にこころを落ち着かせるのに良いのじゃないかと思います。


僕は、本を読みはじめるとたちまち寝てしまうことがあります。そのままほんとうに寝てしまうこともありますが、そのまま寝入らないようにしようとがんばって起きると、じつはじぶんはそれほど眠かったわけじゃないのかも?と、妙にすっきりすることがあります。本は、睡眠導入剤になるのだなと思います。ほんものの薬をじっさいにからだに入れるよりも、よっぽど良さそうです。(本がなくても、ぼくは寝ると決めて横になるとたちまち眠ってしまうのですが)


読み聞かせって、まるでひとつの舞台ですね。お金を払って会場で舞台を観るのが好きな大人って、多いんじゃないでしょうか。大人がこどもに絵本を読み聞かせてやるのは、外の会場で俳優たちがやるそれと比べれればよっぽど簡素ですが、愛情に満ちたじぶんたちだけの贅沢なのかもしれません。


読み聞かせているあいだ、読み手はほかのことができません。物語という共通のものに向かって、子どもは読み手である大人と一緒に過ごす安心の時間が得られます。それでいて、お話の内容は刺激的な冒険譚かもしれませんし、あるいは



お読みいただき、ありがとうございました。