手の届く範囲

おなかが減って困っている人に、食べ物をあげたら、その人は食べるでしょう。そのおかげで、その人はそのぶん延命できるかもしれません。でも、またその人がおなかが空いたとき、またその人に食べ物をあげることができるでしょうか? 2度、3度くらいあげられたとしても、40回、50回と繰り返せるでしょうか。それは勘弁してくださいとなる支援者も多いことでしょう。


じぶんのごはんをじぶんで得られなくて、いま困っている人がいたとしても、いずれ、その人がじぶんでごはんを得られるようにならないと、周りが困ってしまいます。いまごはんを得ないと、じぶんでごはんを得られるようになるまでに力尽きてしまうというのであれば、それまでの期間、ごはんを一方的に与えてもらうのもしかたないことかもしれません。


じぶんでじぶんのごはんを得られるようになること、といっても、本質的な意味での自給自足をできるようになることとは違います。自立している誰もが、じぶんのごはんとなる食材の収穫や成育からじぶんでやっている、というのとは違います。上水道や下水道の整備だって、だれもがじぶんのその手でやっているわけではありません。


何かを差し出し、何かを得ているという、まぁそれだけの話です。差し出せるものがない場合、差し出せるようになる未来からの前借りというかたちで周りに助けを求めるとか、あるいは周りの方からすすんで手を指しのべてやるといったことが必要になる場合があります。


お互いを手の届く範囲におくこと、それが集団になることであり、社会を形成することなのですね。



お読みいただき、ありがとうございました。