スリル

曲をつくったあと、また作らなきゃという気になります。つくりつづけなきゃと思うのです。つくってしまった曲に、その出来栄えに、ずっと寄りかかっているわけにいかないからです。


でも、過ぎ去った日にうまくできたようにはなかなかできません。あのとき、うまくできたのに、という事実にとらわれているうちは、だめみたいです。


あのときの再現をしようとした瞬間、詰むと思います。(将棋でいう、負けの確定)


あのときは、それまでになかった瞬間をすごして、それまでになかったものを具現化できたから、貴くて重大な史実のひとつになったのです。あのときはそれまでになかったけれど、それはもうやってしまいました。だから、あのときに寄りかかっているうちは、それまでになかった瞬間が訪れてくれやしないのです。


でも、そうやって踏みとどまっている瞬間って、必要みたいです。ただ突っ立っている状態から、前傾姿勢になるまでの一瞬。その一瞬の停滞が長く感じられるかもしれませんが、体重が前にかかればあとはもう体が動いて走り出すのみです。


体重を前にかけるやり方を、忘れてしまう。ただ、踏みとどまるためにつっぱったからだを解き放てばいい、それだけなのですけれど。いつだったかの、うまくいった事実が、「あのとき」にいまのわたしを縛りつけようとするのです。


でも、その縛りがあるから、解き放たれる。あのときが、いまのわたしを支えている。もう放していいよって、それが無意識のわたしに届いて、わたしをつかんで支えている手や腕の力が抜けたときに、するりといまのわたしの加速がはじまる。


どこに向かって落ちていくのか、手を放す場所を見つくろっている状態というのがあるみたいです。それが見つからないでいるあいだは、やきもきします。なんにもうまくできなくて、無力感に苛まれます。持って歩いているものが重いほどに、消耗するかもしれません。今までに落としたことのある穴が多ければ多いほど、新たなる場所を求めて出かけて行かなきゃならないかもしれません。


わずかな隙間を見つけてそれをするのか、まっさらな新天地をまず見つけて移動してからそれをするのかはさておき、ここが落としどころだ、というポイントに、無意識のわたしが反応したとき、そのつっぱりを、からだのこわばりを、緊張をやめたときに、あとはこれと決めたところに向かって、支えられていたわたしが落ちていくだけです。


それは、スリルに満ちて、たまらない快感。


お読みいただき、ありがとうございました。