ふたつの極

静が存在するためには、動がなけりゃいけません。静も動もない世界というのは、僕にはよくわかりません。(そもそも、そこでは世界すら在りえない?) なんで世界があるのかもよくわかりませんが、なにもないというのはありえないような気がします。なにもないなんて、なにかがおかしい。なにもないがあって、なにかがある。


盲目的にはたらいて、仕事を終えて、ふうと息をつきます。お風呂なんかに入ってごはんを食べて、恍惚となります。いい運動をしたあとなんかにもなる恍惚です。じんわりとからだがほだされるような感覚。なにに触れられわけでもなく、です。たいへんなことがあったあとには、安楽を味わえます。


すっからかんのあたまを連れて体を動かしまわり、いろんなものをこさえてすっからかんだった頭の中にいろいろ置いて、配置換えをしたり組み替えたりして、うんうん悩みます。頭の中のものを動かす小さな僕もまた労働者です。


はたらいたり、休んだり。すっからかんになったり、ごちゃごちゃになったり。片方だけでは存在できないのかもしれません。在るということは、動き続けること。ふたつの極の間をさまよい続けます。


お読みいただき、ありがとうございました。