▶︎かばう

割れた窓を放っておくと、そのあたりの治安はもっと悪くなっていくというような話を聞いたことがあります。そこを中心にさらにガラスが割られてしまったり、散らかったり荒れたり、犯罪が起きたりするというようなことだったようなあまりちゃんと覚えてもいないし根拠も出典も示せない話を披露するのはずさんですが、どこか問題のあるところをそのままにしておくと、ますます問題が重なって増えていくというような話ととらえることもできるように思います。


からだのどこかが痛いと、ついついそこをかばいます。それで、ふだんはとらないような姿勢をとったり、動作が不自然になったりすることがあります。そのことで、当初痛かった部分とは違うところに重い負荷がかかって、また新たに痛いところが出てきてしまうというようなことがあるんじゃないかと思います。


私は人前で歌うことがあるのですが、プレッシャーに弱いです。ステージの中盤で声が枯れてしまうことがあって、そんな本番を経たあとはいつも悔しい気持ちと情けない気持ちでいっぱいになります。


あれ、声がおかしいなと思うと、声をいかにかばうかということに集中してしまいがちなのが私です。そのことで、バランスを欠いてしまうのじゃないかと思います。聴くべき全体のアンサンブルを見失う(聴き失う)し、声をかばいながら声を出そうとすることによって、ほんとうに最小限の負荷で理想的な声が出せる姿勢やからだじゅうの力の抜き方なんてものはどっかにいってしまうのでしょう。最近も、そんな悔しい本番があって、翌日・翌々日あたりに普段はけっしてならないようなへんな筋肉の部位が筋肉痛になったことが、いかに僕が不調・変調に対して間違った(適切でない)反応を起こしたかがわかります。もう1015年と歌っているし、いつも、より良くなるためにどうしたらいいかを考えて試し続けているにもかかわらずこのあり様ですから、ほとほといやになるかと思えばそんなことはなく、むしろ、たったひとつの正解なんてものがありえないからやり続けるのであろうことを思います。


どこか問題があると、ついついそこを直接突つき、いじくり回そうとしてしまいがちです。でもその問題の解決を心から願うとき、ほんとうにするべきことは、その問題を含んだより広い範囲に及ぶ基本的な環境や物理的な条件をよくすることなのかもしれません。


水とか空気とか土とか、それにあたるようなもろもろか。それを局所的に応用すると、具体的に何をどうするべきかが見えてくるのか


尽きません、突きません。


お読みいただき、ありがとうございました。