そっとささやく『おもちゃのチャチャチャ』

ぼくは音楽なんてやってますから、ほんとうにぼくのほとんどはとるにたらないことでできています。せめて、あなたたちの口に入ったり、肌に触れたりしてその体温を保つのにひとつでも役に立っていたらと思うことがなくもありません、ええ、もちろん、音楽がときにそういうものに匹敵する、あるいは凌ぐことすらあるかもしれないものだなんて思っているからこそやり続けるわけなんですけれど。


ぼくの住む町に、暗渠があります。かつては人々の生活にもっと密着した形でそこに川があったんだろうなと思うのですが、今では雨水を流す経路としていくらかの機能を残すのみです。川のうえにはふたがされ、その上を人が通ります。犬や猫も通るでしょう。そういったものを、ぼくは取材する機会があって、なつかしい昔の姿に想いをはせたり、過去の姿がどんなものだったかその根拠をもとめて調べ物をしたりする機会があるのは、ぼくにとってのちいさな幸せのひとつです。


きのう、僕は3歳の息子の前でウクレレをひいて「おもちゃのチャチャチャ」を歌いました。風邪をひいて保育園を休み、時間を持て余した息子が「何かしたい」というので、ウクレレをもたせてみたら「弾いて」といってきたのです。その夜、ふとんのなかで横になったまま息子が何かをつぶやいており、すごく小さな無声音での発音でしたので何を言っているのかそっと近づいて聞いてみますと、それは「おもちゃのチャチャチャ」の歌詞でした。近づいた僕に気づくと息子は「ひとりでしたかったの」といって大泣きしました。盗み聞きはいけないよね、ごめんね、息子よ。


ああ、とるにたらないのですけれど、ほんとうにそんなものなのです。でも、なんだか、夜に息子がつぶやいていたのが昼にやった「おもちゃのチャチャチャ」の歌詞だったことが、僕には嬉しかったのです。そのときだけで終わらない何か、そう、とるにたらないなにかを彼に伝えられたのかなと思うと。あしたもまた、ぼくを歌う気にさせてしまいます。



お読みいただき、ありがとうございました。