慣れ慣れしさ

これ、いつも手間がかかるなあと思うことを

生活や仕事のなかに見いだすことができれば、それは「いいこと考えた!」の芽がもうそこにあるようなものかもしれません。なんで現状、いつもめんどくさいなぁとか、手間だなあとか、思ってしまうのか? その理由、具体的な原因はどこにあるのか? なにをどうかえれば、それは「気持ちいい!」や「たのしい!」に変わるのか? それを求めんとしたときに、その流路が見えかけたときに「いいこと考えた!」があり、それを実現しちゃえば、かつて面倒や手間だったことは、快適で気持ちのよいことに変わるかもしれません。


問題の解決のためには、まず問題がなけりゃなりません。問題がそもそも見えていないということもよくあるでしょう。じつはこれが問題なんだと指摘されれば納得することでも、「慣れ」がそれに気づきにくくしているかもしれません。


その人がとくに問題にしてこなかったことを解決した発明品なんかが出ると、その人にとっては「おれには良さがわからん」とか「いまのおれにはいらんなぁ」とか思われるかもしれません。なにを問題とするかは人それぞれ、だからこそいろんな人が一緒にいる意味があるとも思います。いえ、いろんな人が一緒にいるから、いろんな問題が生じ得るのだと思います。


そう、やっぱり、ひとりでは生きられないし、一緒に生きる存在だからこそ、問題もいろいろなのですね。


慣れは、そのままでいることを気持ちよく思うものぐさなこころなのでしょうか。なにかをかえようとするとき、それに反対する人って、必ず出てくることと思います、その「かえよう」という意見の存在がその人のもとに届けば。それこそいろんな人が、お互いの手の届く範囲で一緒に生きている証左なのでしょう。でも、おれにとってはいま、これが気持ちわるくて、かえたいことなんだよという、それぞれのちがった思いを認め合ってこそ、いろんなあたらしいこと、かえたいこと、こんなのがあったらおもしろいとおもうこと、その芽吹きを教え合えるように思います。



お読みいただき、ありがとうございました。