生活と音楽

音楽が好きだとか、音楽をやっている(楽器の演奏や歌唱をやっている)とかよく口にしてしまいます。音楽に命かけてるみたいなふうをよそおいがちです。じっさい、音楽がぼくの生き甲斐で、音楽のためにはたらいていたり、生活、そう、生きているとあらわしても言い過ぎではないようにも思います。でも、そのわりに、ぼくは、ほんとうにたくさん音楽をきいたり、音楽を学んだり、音楽をきわめようとしたりしたかと言われれば、おならこいて寝ている時間のほうが長いのじゃないかと自分をうたがう余地があるようにおもいます。


ここ1年ちょっと、定額で音楽が聴けるサービスに加入しています。いろんな音楽がそこにあるので、ほんとうに、なんでも聴けると感じています。もちろん実際にはそのサービスによって配信されているものしか聴けないので、この世の音楽のなんでもがそこにあるとは決していえないのですけれど。そんなサービスに加入しているので、すこしは最近のぼくは音楽を聴くようになったのかなと思います。


でも、ずっと前からだって、もちろんぼくは音楽を聴いてきました。MDなんてうつわを利用して、いろんな音楽を収録したCDを借りてきては録音して、再生していました。かつてと、音楽の聴き方がかわったよいうだけのことを、いま僕は「音楽を聴くようになった」といっているのにすぎないのです。


かつては、ほんとうに音楽に感動して、イヤホンで耳をふさいで大音量で「これがすべてで、最高だ!」みたいに感情をびんびんに呼応させながら聴いていたように思います。それが、いまは、もっと、研究や学びの対象として向き合っていたり、それこそじぶんの鏡、じぶんをまじまじとみつめ、ながめ、知り、観察するために聴いていることが多いように思います。じぶんで作曲したものを録音して聴くのもそうですし、人のものであっても、だれかが心をくだき、からだを動かしてつくった音楽であること、その作られる、生み出される瞬間のことを感じ、考えながら聴いているように思います。


とてもマジカルな効果を人に及ぼしうるものであることも重々わかっていて、それでいて、どこまでも現実を移す鏡(それは左右反転の虚像であることもまた事実として受け入れつつ)として頼ってもいます。鏡というか、のぞき穴といいますか、窓といいますか、フィルムといいますか。。。


ひとことで言い切れないものほど、ぼくの生を活かしてくれるように思います。


お読みいただき、ありがとうございました。