黄金虫とアビー・ロード

「黄金虫」という童謡は、すんごい短調ですね。悲しい響きとよく表現される、短三和音がこの曲の主人です。短三和音は、根音(ベース音)からかぞえてみっつ目の音が、長三和音よりも短い距離にあります。だからなんで悲しい響きにきこえるのか、ぼくのことばではうまく説明できませんが、ひとつ可能性として思うことには、ひくい方のある音をぽーーんとピアノでひくと、その上のほうの音域で、ひいた実音と長三度の関係にあたる音を転回させた音が倍音として含まれているから、短三和音というのは長三和音よりも倍音のぶつかり方・含まれ方が複雑で混沌としているのではないかということがあります。。。説明が下手ですみません。ピアノでなくてほかの楽器で鳴らすとまたちがった倍音が出ることでしょうし、ぼくのこの知識がどれだけ正しいかも正直自信がありませんし、そもそもこんな思いつきの憶測はあてにならないようにも思いますけれど。ぼくのごたく未満のごたくはいいとして、童謡「黄金虫」の短調の響きはすさまじいものがあります。歌詞の出だしのインパクトとあいまってすごい。ぇえ?! というはじまりかたです。人間のおこないやふるまい、状態や境遇、感情なんかを人間以外のものにあてがうというのは詞をはじめとしたいろんな形式の文学作品をつくるときの基本かと思いますが、それにしてもそれにしても、まさかこがねむしが、かねもちだなんて・・・


ビートルズの「アビー・ロード」の50周年記念エディションを聴きました。ステレオ(あるいはモノラル)トラックとしていろんな楽器・パートの音が、音量バランスや音の位置、個別にかけるエフェクトなんかが決定されたまぜられた音源に対して最終的な仕上げをするという工程をやりなおす「リマスタリング」ではなく、前途の個別のパートの組み上げからやり直す「リミックス」ですから、これはたいそう、たいそうなエディションです。より最近につくられた、ほかのいろんなミュージシャンたちによるいろんなそれぞれの音楽たちとならべても埋没しない、モダンな響きになったように感じました。元の盤のほうがとがりかたがするどく、荒々しさが全面にでています。どちらがいいとかではなく、聴き比べて楽しめる幅が純粋に増えてよかったんじゃないかと思っています。よりいろいろにビートルズの「アビー・ロード」を楽しめるなんて。ぼくはにわかファンですが、より深く聴き込む余地がまだまだあります。


ビートルズのコピバンの演奏を聴いて曲の良さに気付くことというのは、最近のぼくの実際の体験をさぐっても記憶にあります。そのときのコピバンがやっていたのは比較的初期の曲でしたが、すげえなあ、こんなちょっとしたコード進行のさせかたの変化でも、こんなに音楽が変わるんだ、広がるんだ、なんてことを思ったの覚えています。今でこそ、たくさんの後進バンドにまねされている手法に違いないのですが。


いや、音楽よすごいなおまえ、というだけの話を書くつもりだったのですが、つい細部に溺れてしまいました。


お読みいただきありがとうございました。