警戒心は命を守るか

いつも、「そうでなかった場合」と実際にむかえた結果を、厳密にくらべることはできません。いえ、その言葉にいつも逃げてはならないとも思いますが、ついついそう言たくなります。「そうでなかった平行世界」が存在しないので、今回の台風がやってくるにあたって、これより前に大きな台風に遭った経験がなかったら、交通がはやいところに運休を宣言しなかったら、報道が声を大きくして最大限の警戒や備えや準備や保身を呼びかけなかったら、どうなっていたかという「平行世界」を眺めることはできません。もっと被害がひどかったかもしれない、と想像するまでです。


前に来た台風が、私の家のベランダの窓も、そうとう叩いていました。夜中にかなりの音をたててがたがたびゅうびゅうごうごうと吹き付け続けていたのを聞いて、夜を明かした経験がありました。今回、報道から、あれをしのぐ、たくさんの死者を出したという狩野川台風並の、あるいは史上最大の台風が来るというのを私も知りましたから、前の台風のときにはしなかったような対策をしなければ、私や私のごく身近な範囲にも深刻な被害が及ぶのではないかという気持ちに本気でなりました。


具体的には、私の住む家のすぐ近くにある、私の両親の家(実家)がちょうど留守でしたから、実家の敷地にあって、屋外に出ている植木鉢やあらゆる園芸用品なんかを、手当たり次第にしまい込みました。あれらが飛び去って、実家の車や実家そのものや周囲のほかの人の家や物や人を傷つけてしまっては、取り返しがつかないと本気で思ったからです。相当な重さの鉄製の郵便受けでさえ気になりました。あれが風雨に倒されて周りの物を傷つける前にと思い、なるべく風の抵抗を受けにくそうな形で壁に沿わせてあらかじめ横倒しにしておきました。本気でそうしたほうが被害を抑えられそうに思ったのです。それほどの危機感を、ふだん、能天気で無計画で向こう見ずでその日暮らしで行き当たりばったりの私が抱いたのです。それほどに、社会的で、組織的で、私をすっぽりつつむこの国ぐるみでの警戒を強める動きがあったのだと思います。


結果として、私の家や家の近くの被害は、かなり抑えられていたように思います。前に経験した台風のときの方が、目に見えてわかる被害が多く思えました。ですが、私の住む地域のほかでは、前に経験したことのないような被害がたくさん出ているという知らせがたくさんあります。私は東京都民ですが、都内の、私が行ったことがあったり知っていたり関わりがあったりする地域においても、かつて聞いたことのないような被害が出ているのが伝わってきています。


水のあるおかげで、人間は暮らせるのですけれど、その水があふれて、たくさんの被害をもたらしてもいるようです。街がまるまる水浸しになってしまっている画像や映像にも、すでにたくさんであいました。とてつもない規模での被害だと思いますが、その広範さにしては、実際にからだを傷つけたり命を落としたりする人の数がまだ少なめなように思えるのは、私の楽観のせいもあることと思いますが、それだけではないのではないかとも思っています。いえ、ほんとうに、それだけ、被害の範囲が広いと実感しているというだけなのですけれど。命を守ったはいいが、これからどうしたらよいのか途方に暮れている人も多いのではないかとも思います。


お読みいただき、ありがとうございました。