引き出しの中に光るもの

そう、こうやってここにいろいろ書くことで、あたまのなかを、こころのなかをだだ漏れにさせているかと思えばそうでもなくて、やっぱり思っても言えないことがありますよね。反対に、思ってもいないことを言ってしまうことだってありますよね。


衝動的に高まった一瞬の感情、それを常にだだ漏れにしたら、世の中の殺気立ったシチュエーションは倍増するのじゃないかと思います。いえ、あるいは、もっともっとみんな本当に思ったり感じたりしたことをそのときその場で言えて、より幸せになるなんてことがあるかもわかりません。


こどもは、そのとき思ったり感じたりしたことをその場で言う子が多いのではないでしょうか。私のうちの子を見ていると、そんなことを思います。寡黙であまり自己表現しない子も、ほかにはいるのかもしれませんが。そのときのことをその場ですぐに解決できたら、非常にスッキリ生きられるような気がします。でも、その場ですぐには解決する手段がない場合や、その場しのぎの解決が少し先以降の未来をより悪いものにしてしまう場合があると思います。問題や不快感や不具合の存在をその場で表明し周囲に知らせる子どもの素直さ率直さについては、見習いたいなぁとは思います。それをすぐに解決する手段がなくとも、その存在を周囲に知らせておけば、近い未来に周囲から解決の手段を紹介してもらえることだってありそうですから。


それでも、私には、思っても言えないことがあります。それを言ったところで仕方のないことかもしれません。周囲から手を差し伸べられるべき問題でないからかもしれません。そもそも問題ともいえないようなことかもしれません。それを問題とするのは、私のエゴのようなものかもしれません。そのことを思ったり、問題と考えたりすること自体が、じぶんの身の回りの人を著しく傷つけることかもしれません。思う自由、秘める自由、表明する自由、いろいろあると思います。


そう、先日、貴重なものを入れておく引き出しからじぶんの結婚指輪を見つけました。見つけたとはいえ、そこに指輪がしまってあることは知っていました。そこにあるのを最後に確認して以降、どこかへ行ってしまっていたというわけでもありません。ただ、常に身に付けることをしてこなかったというだけなのです。その理由としては、私が毎日している楽器の演奏の際に、カチカチと楽器にぶつかってお互いを傷つけるからだとか、一日に何度もする手洗いの際に、固形の石けんを手にこすりつけるたびに指輪が当たって石けんが削れるからとかそんなことをおもに妻に対して表明していましたが、それがすべてではなかったようにも思います。じぶんが結婚したという事実との距離感みたいなものを、指輪の装着という事実に決めつけられたくなかったのかもしれません。それって具体的にどういうことやねんと問われますと、そこまでは、考えがあっても、ここでは言いたくないと思います。そして、ここ数日、私は、その指輪をしかるべき指にはめて過ごしています。きっかけは、久しぶりに開けた貴重品を入れる引き出しの中に、それが光っているのを見つけたこと。それ以上も以下もありません。


わたしもあなたも、いろいろあるのですねぇ。


お読みいただき、ありがとうございました。