不覚の海

じぶんに、価値観を改変するほどの大きな失敗や挫折がどれだけあるかなぁと問うと、あまりこれと言えるほどのものがないように思います。ろくな失敗もせずなんとなく無難に来た甘ちゃんなのだという自覚が、ずーっと私にある、あり続けてきている。そんな感覚です。そのまま来てしまっていて、もはや戻ることができない、そのことこそ強いて言えば、深刻でどうしようもない大失敗、と評するのも可能かもしれません。


恥ずかしいのであまりおおっぴらに言いたいとは思えないことをしいて挙げるとすれば、恋愛に関してのことは失敗やら挫折にも似た経験が私にもあります。じぶんのエゴを通せなかった、ただそれだけの話でもあるのですが、いちばん、決定的に自分の価値観を置き換えざるをえなくなった経験に相当するものが私にもあるとすれば、それくらいしかないかなぁとも思います。


恋愛は、相手あってのことですから。じぶんがどれだけその相手といたい、い続けたいと思っても、相手もそう思うとは限りません。お互いにそう思える仲こそがある意味ほんとうの恋愛だとするならば、そうでないものはそれ未満、片思いとかなんとかほかの呼び方があるのかもしれません。


そういう苦しみを音楽に昇華した、そのことで救われた、浄化された、カタルシスがあったというような経験が私にはあって、それこそある意味失敗みたいなものかもしれません。頼むからそんな言い方しないでくれよと懇願したくなるようないもの言いをあえてしますと、要は、失恋ソングを作ったら救われたということです。これだけ聞くと、もう肌寒くて、いえ、肌ならまだよくて内蔵から、からだの底から悪寒がする人もあるかもしれませんが。恋愛の失敗の苦しみを原動力に作詞と作曲をしてしまった経験が、私の究極の成功であり、失敗でもあるじぶんのことなので、なんとでも言えます。


勉強なんてろくにしてこなかったし、まともに就職活動した経験も私にはありません。いまだ、一度だって、「まともな社会人」みたいなものになった覚えもないのです。(もしこれまでに一度でも私のことをまともな社会人だと思って付き合ってくださった方がいたとしたら、照れながら感謝を告げるのみです。)そんな私には、学力があったって、問われたことに答えられる知識や経験がいくらあったって、必ずしもうまく渡りきれるとは限らない海が目の前でざざめいていると思うと、私にとって決して悪くない時勢なのかなぁという気に、不覚にもなってしまいかねません。


ざざあぁぁん、ざざぁぁん、


お読みいただき、ありがとうございました。