学び合うということ

「ほぼ日手帳」を売っている「ほぼ日」という会社があります。そのホームページに相当する「ほぼ日刊イトイ新聞」を拝見していますと、いかに、組織のみなさまが、自由な発想で、めいめいが考えたことにチャレンジしているかがとてもよく伝わってきます。その雰囲気って、「学校」のそれに似ているのだと思うと、とても納得がいきます。その雰囲気を、会社として醸し出しているのって、珍しい、なかなかないケースなんじゃないかなと思います。(会社や社会、組織に関する知見をほとんど持たない私が言えたものじゃないかもしれませんが)


多くの会社、企業、営利組織の体制が、上が下を統率する関係の積み重なりでピラミッドの様相を呈していると思います。ですから、ある意味「学校」的雰囲気をもった組織が、ちょっと特異といいますか、固有の、独特の存在感を放つのは自然なことかもしれません。個人がいろいろでいいように、組織がいろいろでいいのも当然のはずです。が、「会社」とかいった人のあつまり、組織のイメージとして、そうしたピラミッドを思わせる勢いが支配的なのが現実だと思います。でも、それもこれから、けっこうなスピードで変わるかもしれませんね。というか、もう現に変わっていっていて、ピラミッドのイメージは、更新されないまま放置されているだけの過去のものなのかもしれません。


はたらいて、お金をあつめて、分配するというのが「会社」とか「営利組織」の目的(ここではそうしておきます)ですから、その性質上、ピラミッドになりやすいのかとも思います。でも、いろいろな人がいて、いろいろなことをしていいんだよという価値観が浸透すればするほど、個人も組織も多様で自由になっていくはずです。


はたらいて、お金をあつめて、みんなで分けるというのが「目的」なようでいて、「ではそのお金で何をするのか、それに伴って生じるお金以外のものはなんなのか」というのがその向こうや周りにあるはずですから、会社や営利組織もその「目的の向こう(周り)の真のミッション」がなんなのか次第で、雰囲気や体制は変わるはず、千差万別であるはずとも思います。


戦後の復興、社会の勢いを経験されて、いま高齢になった人がたくさんおられますし、その時代に生まれたものからの影響を吸っているのが私やあなたや今を生きるこの国の人たちだと思うのですが、その方々が鬼籍に入っていかれるのが今であり、これから近い未来であり、社会の変容はそれにともなって加速するであろうことは私の頭でも想像がつくことです。


私ごとき細胞です。ひとりなら、単細胞。あつまれば、人間以上のものになれるかも?



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