都市を於いて

東京を騒々しいとか落ち着きがないとかごみごみしているとか思わない人があったとしたら、その人はそれよりももっと騒がしくてごみごみしていてスピードがあって落ち着きのない環境からやってきた人かもしれない。私にとっては東京のイメージは人が多くて騒がしくて落ち着きがないものだけれど、その方向にもっと騒がしいところから来た人にとっては、なんてシッポリしているところなんだろうと思うのも無理ないかもしれない。


もちろん、東京もいろいろだ。上段でお話ししたのはあくまで都心のイメージであって、私の住む地域は違う。23区の中でも西のほうに位置する練馬区のその西隣にあるのが私が住む西東京である。キャベツ畑と出来たばかりの南北を縦断するおっきい道路くらいしかない街である。というのは言い過ぎで、魅力的ないろんな人が住んでいるし活気がある側面も私は認めている。なんでもすぐ言い過ぎちゃうみたい。


都心に落ち着きを認めるのだとしたら、ラグジュアリーな、とかいう単語が思い浮かぶ。低いソファーとか置いてあるイメージだ。木肌を活かした肘掛けに濃いベージュのテクスチャの粗めの布が張ってあるソファに、暖色系の照明が吹き抜けの天井のどこかしらから回り込んで光を落とすような空間で、周りにある本棚から本のひとつふたつみっつを抜き取った人がそこに座ってハンドドリップしたシングルオリジンコーヒーとか飲んでいるようなそんな感じである(どんなや)。


若い頃には、刺激が良かった。年取ると、それが疲れてしまう。そんな傾向が街にあるのか。今まで東京、ことに上段で紹介したような都心のイメージを「年取った感じ」と評する視点には気付かなかった。「その落ち着き、年取ったねぇ」なんてとらえることもできると、言われてみれば同意もできる。東京、年取ったのか。


私の街には、高齢の方もたくさん住んでいる。元気に活動している人がたくさんいることも知っている。もちろん、年齢のことやその他いろんなことが関係してのさまざまの困りごとを抱えて生活している人がたくさんいることも知っている。むしろ、困りごとをなんら抱えていない人なんて探し出すほうが難しいかもしれないとまで思う。思い過ぎかもしれないが。


高齢化はもちろん私や私の周りや街ぐるみで起きている。人口の減少はほんとに起きそうだと私ごときを信じさせるのには十分なレベルで信憑性を持って情報が這い寄せる。あと50年とかするとこの国の人口は4分の3くらいになるとかいう記事をどこかで読んだなと思い出す。どこだったか。


元気がなくなったなぁとある人が思う。それより元気がない実感をともなった生活の中からやってきた人からしたら、それはじゅうぶん元気かもしれない。


気付かなかった価値は、いつもどこにでもあるのだろう。頭がいっぱいになりがちな、視点を固定しがちな私がいる。おかげで、荷をおろすこともできるし視点を解き放つこともできる。東京にいるあいだは、東京のことをほかから見たときのことを想像しにくいみたいに。


お読みいただき、ありがとうございました。