雨降りの山手線、池袋駅のホームから

なんにもない休みのある日、電車に乗ってみたのです。


それで、ひたすらに目に飛び込んでくる光景を記録してみたのです。


池袋駅の山手線のホームに、私はいました。雨が降っていたんです。吹き込んだそれが、ホームに水たまりをつくって揺らめいていました。それを見て、なんとなく、私は、じぶんの感覚の存在を意識したんです。なんだかぼけぇっとしてしゃきっとしない日だったので、ああよかった、私の知覚、まだあったと安堵しました。感性、どっかいっちゃったんじゃないかしらと思っていたところだったのです。


それで、何か、じぶんの知覚のセンサーを動かしてみたくなったのです。はたらくか、試したみたくなったのです。私はひたすらに目にはいるものを手当たり次第に記録しました。iPhoneのメモアプリに、知覚したものやものごとを、とにかくなんでもかんでもテキストにして入力するというやり方でです。


目に入るものといえば、人、人、人ばかりです、とにかく人。私は、山手線に乗って新宿へ向かっていました。車内にも、人、人、ひたすらに人。


人が目について、何を知覚するかといえば、その人の服装です。その情報が大きい。どんな色柄のどんなかたちの服を着ているかが、ばんばん目に入りました。そうしたものを私はどんどん書き取りました。チェックのシャツ、黒いパンツに黒いジャケット、白いワンピース、グレイのキャップ、ラコステにポロにマーモットのマウンテンパーカー、チャムスのリュックにヴァンズのスニーカー。


そして、その人たちが何をしているかも目に入ります。圧倒的に多くの人が、スマートフォンを使用していました。ゲームアプリを走らせる人、イヤホンを耳に挿入して端末を横長に持って動画を視聴する人、メッセージアプリを錯綜させる人、インターネットをうろつく人、乗り換え案内を検索する人。英語の参考書を片手につり革を持って経つ人。男女の組は電車の運行状況についての会話を。リクルートスーツに身をつつんだ男女6人組はそれぞれがべつの相手と聞き取りがたい話をそれぞれに。


そんなようなことをとにかく私はひたすらにメモアプリに入力し続けました。時折、自分が感じた、人の多さに対する不自然さを嫌悪する気持ちだとかいった主観も織り交ぜながら。


その文章をあとで読み返すと、私のそのときの行動が、そっくりそのまま再生されるのです。蘇らせることができるのです。


それだけでは、なんの意味も価値も持たない情報を、私は知覚センサーをはたらかせることで、持っていたのです。それに意味を見いださないかぎりは、それらは、私の奥底に仕舞われていってしまいます。思い出すきっかけがなければ、永久に引き出されることはなく、アクセスがなくなってしまうでしょう。でも、ひたすらにそのアクセスの末端となる取っ掛かりをメモしていくことで、そのアクセスを確保できた。私は、なんの意味もない莫大な情報に、わずかながらの価値を紐づけたのです。


意味のないような光景を逐一メモしていったら、そのときのじぶんの記憶、行動をあとになってからも再生できた、というだけのことなのですが、そのことがちょっと興味深く、新鮮に感じられたのが、ここに書き残した動機です。



お読みいただき、ありがとうございました。