スらトいレふス

変化に、ストレスってともなうのですよね。


なんにも変わりのない、ぬるぅい状態って、それもしんどくなってしまう。変化が欲しくなるのです。


ひょっとすると、変化があるのが普通、といいますか、まぁ平常・日常の状態で、変化がなんにもないというのはけっこうおかしな、へんな、特殊な状態なのかもしれません。


ふだんならわずかながらでも変化がある、その状態がふつうなので、その変化がない状態がやってくると、「おや? おかしいな」といった具合に、その「変化のないこと」がそれまでのその人にとっての変化としてのしかかる。結果、ストレスがともなうわけです(どんな論理やねん)。


なにかと、私は、変化を欲しがちです。すぐに、守ろうとしがち、保守・保身に走りがちなので、いっつも、変化に憧れを抱いているのです。その状態も何かちょっともつれた、よじれた、こじれた精神状態かもしれませんが、それが私という者の平時なのです。いやだなぁと思いながら、でも自分なので切り離すこともできず、半ばくされ縁かのように思ってもいます。痛し、かゆし、かわゆし、憎し?


もっともっとと望む方向が生まれます。でもその方向にいつまでも行き続けると、壊れたり崩れたりしてしまうので、どこかで、望む方向への力が弱まります。自分で抑制するのかもしれません。いったん止まるとかして、補修や改修をしてまた広がっていく、というのはありそうです。同じ方向にまた漕ぎ出していく。そうやって「方向を保つ」ことで、私は自分を維持しているかのようにも思います。


それにもともなって、やっぱりストレスがある。


ああ、あしたの午後からなんもねぇなぁと思って、いざ迎えてみるとその午後を持て余してしまう。何かの用件が、自分の外から舞い込んでくれたらがっつりリアクションするのになぁなんて、心のどこかで望んでいるのか、休みたい、メンドくさいと思いながら。休む、メンドくさがるもまたストレスなり。


だから、なんでも来いや! なんですよね。



お読みいただき、ありがとうございました。