寝床の質量

すぐ眠くなっちゃうんです、夜。夜更かしが苦手になりました。読みたい本とか漫画とかたくさんあって、家族が寝静まった夜がやってきたそのときばかりが観賞のチャンスなのですけれど、始めた時点でもう眠い。始める前にすでに眠くて、始まらないでそのまま寝ちゃうことが8割。始まってもすぐに寝ちゃうが8割。あれ? 計算がおかしいぞ。16進法か? 


なので、朝起きてます。ちょっと早めに。少し前は、無理してガッツリ早めに起きていたこともあったのですけれど、いつのまにか「ちょっと」になっていました。人間ってなんて欲望に流されやすいのでしょう。あ、人間のせいにするのは不適切でした。私のせいです。ああ、流されやすい。


「ちょっと」の早起きで何ができるかというと、そう映画を2時間堪能したりこってり溜まったものを消化したりすることまではできません。目を通したいものの了解を少しだけ進めて、今書いているこれをちょちょっと書くくらいしているうちに家族が起き出してきて、ひとりタイム終了。せめて平和にニコニコ起きてくれればいいですが、幼い息子の「ギャー」で始まる朝もある。一体夢で何があったのかと思いますし、いま起きたところでなぜすでに不機嫌かと問いたい気持ちでいっぱいにもなります。一方で、寝起きってなんでこんなつらくて不快なんだろうって、わかるよ息子! などと共感し理解を示すかのような気持ちもあります。


ちょっと今日はやる気出しちゃおうかななんて意思を持って、夜な夜なコーヒーを淹れて飲んでこってり夜を楽しもうなんて思ってやってみることもあるのですけれど、カフェインよりも内蔵を液体が温める効果のほうが勝ってか、ほっこりして眠くなってしまいます。マットに沈むボクサーの如し。


らくちんな部屋着を着るからいけないのかもしれないなどと思って、お風呂を済ませたあとに着るものを、いつも外出するときに着るジーンズとTシャツ(これが私のヨソ着)にして夜を過ごしてみたこともあるのですが、生理的に訪れる眠気には一寸の変化もなく、実験を無駄にしました。いえ、それを知るための実験ですから無駄ではありませんね。期待したのと違った結果を得たのでした。


一日にピリオドを打つ行為として、お酒を飲むなんてのがあるかもしれません。私の場合、お風呂に入って体重から一時的かつ部分的に解放される、全身の血管や筋肉がゆるんだかのようなあの感覚を味わうことがそれにあたるのではないかと思い、こってり楽しみたいものがまだあるときはお風呂に入るのをあとまわしにするというチャレンジをしてみたこともありましたが、寝床にはブラックホールなみの質量があるのじゃないかと思わされるような引力があるようで、気がついたら今に至っており、こってり堪能したいはずのものたちは未了解のままという始末です。


おふとんよ。あなたを中心に私は毎日、生まれ直している。


お読みいただき、ありがとうございました。