ずっとハイなヤバイひと

めっちゃやばいね。

強調のことばは、つい言い過ぎてしまいますね。気持ちが高ぶっているのでしょうか、その瞬間の感嘆の速度感を表現したい欲求が、ついつい強調を盛ってしまいます。


「やばい」の始祖

そう、「やばい」をいつからか強調につかうようになっていました。私が考えたのではないけれど、いつの間にか自分も使っていましたね。もともと非常だとか緊急だとかの事態や状況、どちらかと言えば好ましく・望ましくないときにつかうことばのような気がしますが、それをほめたり好ましい感情や歓迎している姿勢をあらわしたりするときにもつかい始めたひとがどこかに現れたのだと思います。


ひ・じょ・う・に

流行性のある表現を避けて強調を私があらわすとしたら、どういうことば選びになるか非常に悩ましい。嘘、すぐに浮かびました。そう、「非常に」です。常ならぬ、とあらわす二文字・4音。ひ・じょ・う・に、です。


とても

でも、ちょっと口語っぽくないですね。しゃべりことばとして用いるのにはカタい感じです。「非常にいいね!」とかあまり言いません。黙って、ことばをていねいに「書く」ときには「非常に」はわりと自然に登場しうるかとも思いますが、日常の会話の中で使うかと言われれば、ちと違うかも? とも思います。非常に、よりは「とても」でしょうか、会話で使いやすそうなのは。「とても」を盛っちゃって「とっても」とか「とおぉぉぉぉぉっても」とか言えちゃいそうです。英語でいえば「Very」かな? 


フォルテでいこう

音楽でそこを強調して表現したいときは「forte(フォルテ)で!」とすれば伝わります。強く、強度をもって。そんなイミです。単に、何かの単語についてその意味を強めたいときは「molt(モルト)」かな。外国語の翻訳、言い換えの問題になっちゃいますね、焦点が。


平時とハイ時

気持ちの高ぶりというのは一時的なもので、ずっとハイだったらちょっとやばい人です。あ、出た、「やばい」。ここでいうのは、ほめるのでもなく、感激をあらわすのでもなく、非常事態や危機的状況をあらわすでもなく「その道の」という意味がなきにしもあらず、かつそれのみでなく単に「くれいじい」といいますか、気がふれた、といいますかいえ、差別する意図もないのですが、常軌を逸したさまをただ言いたいだけです。そう、「やばい」ときは一瞬で、そうじゃない、平常なときのほうが多い。強調のことばには「鮮度」とか「刹那性」がつきまとうのかもしれません。



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